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【三国志大戦】呉王朝最後の丞相・張悌

1 :張悌:2007/10/24(水) 02:15:20 0
初めまして、私の名は張悌、字は巨先と申します。

此処では私が皆様からの質問に答えるという、至って単純な規則ですが、
過度の質問や暴言等におきましては、申し訳ございませぬが、私の火計を以て
御引取り願いますのでどうか其処の所を御了承下さい。

では、参りましょう。

2 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 02:15:51 0
母国語でおk

3 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 02:17:28 0
諸葛?について語って

4 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/24(水) 02:18:25 0
一応、識別符も付けておきました。

本日はもう宵の口ですので、挨拶のみに致します。
明日から本格的に参りますゆえ、不束者ですが、どうか宜しく御願い致します。

では、さらばです。

5 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 02:18:56 0
諸葛?について語って

6 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 02:19:48 0
諸葛[見]について語って

7 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 06:18:08 O
沈瑩についても語って

8 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 21:30:25 0
ここには「三国志大戦」を差別視する連中しかおらんのか?

>>3>>5の質問が曖昧だ。もう少し詳しく質問しろ。

9 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 21:31:59 0
>>8
注文が多い奴だな。
お前が手本を見せてみろ。それとも名無し同士の雑談がやりたいのか。

10 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 21:50:16 0
いや、名無しの雑談は御免だね。俺は一介の三国志大戦ファンだ。こんな
無機質な質問に少し苛立ちを見せただけだ。

よし、いいだろう。見せてやる。

張丞相は蜀の滅亡を予言したそうですが、何故その様な事が分かったの
ですか? 教えて下さい。

11 :名無しになりきれ:2007/10/24(水) 21:53:18 0
史実では呉の滅亡という、悲運に見舞われた男なのに……。

まあ頑張れ、皆は丞相の味方だ。これからはここで人生を
全うしてくれ。

12 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/24(水) 23:45:45 0
少々遅れましたが、約束通り参りました。では早速参りましょう。

>2
母国語ですか。これでも私は母国の言葉を喋っておりますが、皆様には
倭国の言葉に聞こえるのでしょうね。

>3、>5
む? 諸葛某について語って欲しい、とは一体? ……まあ良いでしょう。知っている限りの知識を貴方がたの為に披露致しましょう。
但し、これから述べる事は文章形式ゆえ、御了承下さい。

諸葛豊……前漢の司隷校尉で、諸葛亮の先祖。かなり規則に厳しいといわれていた。

諸葛珪……出身地は琅邪郡。諸葛亮、諸葛瑾、諸葛均の父親で、字は子貢。泰山郡の丞を務めていたが、若くして急逝した。

諸葛玄……出身地は琅邪郡。諸葛亮、諸葛瑾、諸葛均の叔父で、諸葛珪の実弟。兄の没後、まだ幼かった諸葛亮、諸葛均を引き取り
育てる。しかし、漢王朝に叛き、自ら(成《本当は『仲』》)皇帝を名乗る袁術の命令により、豫章の太守を務める。しかし、漢王朝は
それを許さず、豫章の太守には朱儁の息子である朱皓を任じて劉?に朱皓の支援を命じる。その板挟みにより、諸葛玄は劉?、朱皓の
連合軍と干戈を交えるも、その結果、諸葛玄は敗走。しかも逃亡先で住民の反乱に巻き込まれ、戦没した。

諸葛均……諸葛珪の末子で、諸葛瑾、諸葛亮の実弟。幼い時に兄の諸葛亮と共に叔父の諸葛玄を頼るが、その叔父も揚州牧の劉?と戦い、
戦死を遂げると、諸葛亮と共に荊州牧の劉表を頼り、南陽の隆中で兄と共に暮らした。しかし、兄・諸葛亮が劉備の軍師になると、共に
劉備の家臣となり、長水校尉にまで昇進した。

「三国志演義」では劉備達が諸葛亮の元へ赴いた時に登場するが、諸葛亮が劉備の元へ行く時に家の留守を命じられていて兄の様に
劉備に仕えた、と記載されていない。尚、裴松之が注に引く「襄陽記」によると、彼には「諸葛望」という息子がいたという。

(次に進む↓)

13 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/24(水) 23:47:29 0
諸葛亮……出身地は不明だが、本貫は琅邪郡・陽都県。蜀の丞相であり、三国時代屈指の名軍師として名高い。諸葛珪の次子。諸葛瑾の
実弟であり、諸葛均の実兄。

……まあ、皆様もかなり御存知であり、ここで説明するとかなり膨大な量になりますゆえ、不遜ながら割愛させていただきます。

彼につきましては此処(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%91%9B%E4%BA%AE)を参照して下さい。

ただ、彼は若い頃、無実の罪で逮捕され、牢屋に入れられた事がありましたが、ある日、村祭りに用いる灯篭作りを手伝って欲しいと
いう事で借り出され、巨大な灯篭を作ったのですが、その灯篭の下の台に座って数百本もの蝋燭を灯し、熱を利用して灯篭を空に飛ば
して逃げたという逸話があります。故に、後世ではこの灯篭が世界で初めての熱気球と言われているそうです。

また彼は長く戦場にいた為、妻の黄夫人(黄月英)殿に夫の不在からくる寂しさを紛らわす為、「知恵の輪」を発明した、と言われて
います。


諸葛瑾……琅邪郡・陽都県出身。字は子瑜。呉の政治家であり、武将。諸葛珪の長子。諸葛亮、諸葛均の実兄。実母の章氏が亡くなると、
継母の宋氏に孝行を尽くし、漢王朝末期には戦乱を避けて揚州に移り住んだ。

その頃、江南で屈指の実力者であった孫策が没し、弟の孫権が後を継いだばかりであり、孫権の姉婿が彼の非凡さを見抜き、孫権に推挙。
魯粛と共に同じ賓客として遇された。

蜀に仕えた弟・諸葛亮とは公私の立場をはっきり区別させ、公式の場で顔を合わせても私的な場で顔を合わせる事は一度も無かったと
いう。但し、連絡は御互いに取り合い、また、一度、子が無かった諸葛亮に諸葛瑾が息子の諸葛喬を彼の養子として送り出したことがある。
また、215年には呉と蜀の同盟の使者として蜀に赴いているほか、何度か蜀に訪問している。但し、その殆どは関羽に荊州を呉に返還
させる様に促したり、また関羽の仇討ちとして呉に侵攻する劉備に和平を持ちかける等、かなり緊張した場での訪問であり、その多くは
失敗に終わっている。

(次に進む↓)

14 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 00:32:58 0
ヽ(‘ ワ‘)ノ

15 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 00:40:26 0
>>13の続き)

孫権からは親友の如く、かつ非常に信頼が厚く、常に孫権を戒める時は直接言わず、諭す様な感じで執り成していた。また風格は堂々と
しているが、思慮深く、人当たりが良かった為、周りからかなり評判が良かった。

荊州の奪還から夷陵の戦い以降、蜀と関係が悪化していた時、「諸葛瑾は蜀の劉備と内通しておりますぞ」と孫権に讒言する者がいたが、
孫権は「子瑜の孤(われ)に負(そむ)かざるは、孤が子瑜に負かざるがごときなり(諸葛瑾が裏切らないのは、私が諸葛瑾を裏切らない
のと同じだ)」と言って絶大なる信頼がある事を表した。

その後も諸葛瑾は孫権から重用され、孫権が呉の皇帝に即位した222年には左将軍・宛陵侯に、229年には大将軍、予州牧、左都護
等の要職を歴任し、241年に68歳で逝去した。

尚、彼は生涯で3度しか戦場に赴いていないものの、何れも相手は魏軍であり、南郡で夏侯尚を迎え撃った時は陸遜と協力して勝利、
また司馬懿との戦いでは江陵の守りを固め、引き分けに持ち込むなどをして活躍した。

諸葛恪……出身地は琅邪郡・陽都県。字は元遜で、諸葛瑾の長男で、諸葛亮の甥に当たる。子供の頃から機知と才気に長じていたが、
性格は父親や叔父とは全く正反対といっても良いほど、思慮深いとは言えず、いい加減、傲慢かつ野心家であり、弁論でも他人をやり
込めるのが得意であり、才能をひけらかすのを好んでいた。

彼の才知を象徴する逸話は「正史」には多く存在するが、その最たるものとしては、ある日の宴の最中に引き出された驢馬の額に、
孫権が戯れで「諸葛子瑜」と書いた(諸葛瑾は顔が面長で驢馬に似ていたという)事があった。一座の者は大笑いしたが、父を馬鹿に
されて面白くない、当時幼少だった諸葛恪はその驢馬に書かれた文字の下に「之驢」と書き加え、「諸葛瑾の驢馬」という意味にした
のであった。それを見た孫権を始め、一座の者はその機転の良さに感心し、その通り諸葛瑾はその驢馬を与えられた、という。

しかし諸葛瑾はその才気煥発な息子に対し、常に「恪は頭が良すぎる。家を栄えさせるのもこの子なら、潰えさせるのもまたこの子で
あろう。」と嘆き、弟の諸葛亮とは別の「頭の良さ」を見切っていたそうである。また、諸葛瑾のみならず、その諸葛亮からも「恪は
性格が大雑把でいい加減ゆえ、兵糧管理等は向いていない」と注意を促したり、更に陸遜からも諸葛恪をつかまえて「その人を人と
思わない性格を直せ!!」と咎めている。

(次に続く↓)

16 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 00:41:48 0
功績としては、

(234年)丹陽太守に任じられ山越の討伐を命じられる。結果、3年で山越を帰順させ、4万もの兵を手に入れる事に成功。その
功績が讃えられ、威北将軍に任じられた。

(252年)孫権が病に倒れると、皇太子の孫亮がまだ幼年であった為、大将軍と太子太傅に任じられ、孫弘と共に後事を託された。

日頃、孫弘とは仲が悪かった事から、孫弘は孫権の死を隠して諸葛恪を排除しようと画策するも、逆に露見され、誅殺された。これに
よって、呉の実権の全ては諸葛恪が掌握し、敏腕を振るった。

まず内政では負債の免除、物品税の撤廃等、人気取り政策で功を奏し、民から喝采を浴びた。また、軍事面でも呉の政権交代に付け
込んで侵攻してきた魏の軍勢を迎え撃ち、東興で撃破。これで気を良くした彼は、魏の実力を軽んじ、翌年重臣の反対を押し切って
淮南の住民を呉に移住させるべく、魏の征討の軍勢を起こし、出撃した。

まずその前段階として魏軍の最前線である合肥の新城を包囲するが、抵抗が激しく、数ヶ月包囲しても攻め落とす事が出来ずにいた。
その上、士卒が疲れきり、暑さの余り生水を飲んで大半の者が病にかかるなどして、逃亡者や死傷者が続出。果ては魏の援軍がやって
来た事を知ると、諸葛恪は漸く撤退を決意した。だがその撤退の間にも路傍に倒れ付して息絶える者や、略奪にあって捕虜となる者が
後を絶たなかったという。

それから暫く彼は長江の岸辺に出ると、其処で屯田を興すと言って1ヶ月留まり、矢継ぎ早に来る帰還を促す詔によって漸く都の建業へ
帰還したが、既に上下問わず諸葛恪の人望は地に落ちていて、253年、武衛将軍の孫峻達の反乱によって諸葛恪は一家諸共殺害された。

これにより、諸葛瑾の不安は見事に適中したのであった。

17 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 01:12:25 0
諸葛喬……蜀の武将。字は初めは「仲慎」だが、諸葛亮の養子となった時に「伯松」と改めた。父は呉の武将であり、政治家である
諸葛瑾。実兄は後に呉の実権を握る諸葛恪。

幼い頃、叔父の諸葛亮に子宝が恵まれず、不憫に思った諸葛瑾の命によって諸葛亮の養子となり、将来を嘱望された。長じて後に蜀の
2代目皇帝である劉禅の姉を娶ったと言われ、蜀漢の?馬都尉に任じられた。

その後、諸葛亮に諸葛瞻が誕生したが、引き続き期待された。しかし、その才能が発揮する前に228年、僅か25歳の若さで漢中で
病没し、期待は水泡に帰した。

尚、才能は兄の諸葛恪に劣っていたものの、性格は父・諸葛瑾譲りの温厚で、遥かに兄より上と評された。

諸葛瞻……三国時代後期・蜀の武将・政治家。字は思遠。父は「天下の大軍師」として名高い諸葛亮。また母は黄承彦の娘・黄夫人
(黄月英)と紹介されている。

父の死後、父の爵位である武郷侯を継ぎ、周囲から期待を受けた。17歳の時、蜀の2代目皇帝・劉禅の娘を娶り、騎都尉に拝命。
翌年、羽林中郎将となり、更には射声校尉、侍中、尚書僕射となり、軍師将軍を加えられた。最終的には行都護・衛将軍、平尚書事に
まで昇進している。

263年、魏の勇将であるケ艾が攻めて来ると、劉禅の命により出撃。綿竹城に籠って戦い、父・諸葛亮の木像を掲げて出撃し、ケ艾の
息子であるケ忠を撃破する等、勝利を収めるも、ケ艾の猛攻の前に苦戦する。呉に救援を依頼するがその援軍を待たずに出撃。ケ艾は
彼の武勇を惜しんだか、「降伏すれば琅邪王に封じるよう上奏する」という文面の手紙を送り、降伏を薦めた。一度はその内容に心が
揺らいだ諸葛瞻であったが、息子の諸葛尚に「命を惜しんで名を辱める事がない様にして下さい」と諌められ、気を取り直して出撃し、
息子と共に玉砕した。

「三国志演義」では、宦官の黄皓の横暴に反発し、病と称して門を閉ざしていたが、魏の侵攻が始まると、郤正の薦めを受けた劉禅に
よって召喚されて出撃、「正史」同様に綿竹において戦死している。

18 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 01:40:58 0
諸葛尚……三国時代後期、蜀の武将。諸葛瞻の長男で、祖父は「天下の大軍師」と言われた諸葛亮。
幼い頃から兵書に親しみ、様々な武芸にも秀でていて、父よりも才能が上だったという。魏のケ艾が蜀に侵攻してきた時は、総司令官
だった父を助けるべく先鋒を務め、祖父である諸葛亮の木像と陣旗を掲げて出陣し、一度は魏の軍勢を撃破したが、相次ぐケ艾の猛攻に
より、頽勢如何ともし難く綿竹城に篭城した。

ケ艾は諸葛亮の息子と孫と言う事で惜しみ、降伏勧誘の手紙を送ったが、諸葛尚はその手紙の文面を見て動揺した父・諸葛瞻に対し、
「名を惜しむようにして下さい。」と諌め、再び戦う決意にさせた。諸葛瞻は先陣を切って出撃し、撃砕したが、諸葛尚はそれを知ると
「後退して再起を図りましょう!!」と進言する武将を余所に、父の後を追うかのごとく出撃し、乱戦の中で戦死した。

ケ艾はその一戦の後、諸葛瞻、諸葛尚父子を丁重に葬り、更に成都に侵攻。結果、蜀はその年に滅亡した。

諸葛京……西晋時代の人物。父は諸葛瞻で、祖父は「天下の大軍師」として名高い諸葛亮。実兄は父・諸葛瞻と共に蜀に侵攻してきた
魏軍と戦い、玉砕した諸葛尚。

蜀が滅亡した年はまだ幼少であり、264年に河東への移住を命じられている。長じてから西晋に仕え、江州刺史まで昇進した。

因みに、現在では諸葛亮の子孫が集まったとされる「諸葛八卦村」という村が浙江省蘭渓市にあり、全員の名字が「諸葛」となって
いる。近年になって諸葛亮の家系図が見つかり、可能性としてはこの諸葛京の系統が有力とされているが、1800年前の人物と
言う事もあり、実際にその人々が諸葛亮の子孫なのかは家系図以外から実証されず、不明となっている。しかし尚、諸葛亮が伝来
させたと言う文化を良く守り、諸葛八卦村は中国から文化財として指定され、観光地としても有名である。

19 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 01:51:40 0
……さて、今日は此処までのようですね。また>3殿、>5殿の為に残りの諸葛一族についてを
語りますゆえ、楽しみにしていて下さい。

では、さらばです。

20 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 02:10:33 0
か、快進撃……!!!!!
これこそ俺が求めていた快進撃だああああああああああ!!!!!!!

張悌!!! 俺と一緒に手を組まねえか!!? お前の快進撃なら天下なんざ
すぐ取れるぜ!!!!!!!

21 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 02:11:47 0
良スレだな。ageていると荒らしに見舞われる可能性が高い。
忠告だけしておく。

22 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 02:13:18 0
>12の張悌さんの投稿した時刻ですが……、

思わず「兄さんシコシコ」と読んでしまいました。すみません。

23 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 02:16:54 0
それなら>>20も、時刻を見ると「ニート散々」と読めるぜ。

それにしても張悌のレスは膨大な説明文だな。まあ、これだと諸葛孔明だけ
取り上げるのを拒む理由が分かるって訳だぜ。

俺としてはこれからも頑張ってくれと思うな。

24 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 03:50:52 O
大将軍に一言

25 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 06:39:52 0
三国志は詳しくないが、1が凄いことはよく分かった
もう頑張ってるから頑張れとは言わない
その調子で素晴らしいレス返しを続けてくれ

無理しない程度に

26 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 23:37:06 0
今日も来ました。まあ、歓迎してくれるかどうかは分かりませぬが、宜しく御願い致します。
さて、今日は引き続き>3殿と>5殿の質問に答えるとしましょう。

諸葛原……字は景春。後漢末・新興の太守。

「諸葛原が新興太守に昇進してその歓送会に出席した時、諸葛原が燕の卵、蜂の巣、蜘蛛を
用意し器にいれて、当て物をした。管輅は器一つ一つ中身を当てていった。全て当ったので
同座の人はびっくりして喜んだ。」

という卜者・管輅の透視術を確かめる為の話のみに登場。


諸葛緒……三国時代末期の魏の武将。字は不明。雍州刺史を務め、ケ艾の配下で文欽の乱の制圧に活躍した。
263年、司馬昭により鍾会、ケ艾と共に蜀攻略の指揮官に任命された。漢中を攻略し、姜維の退路を断つべく橋頭を押さえたが、
姜維の陽動作戦に掛かって退却を許してしまう。剣閣の蜀軍を攻撃しても反撃に遭って退却する等の惨敗続きを喫してしまう。

その件により鍾会に責任を問われ、兵権を剥奪され、都に返されてしまった。

しかしその後は特に罪に問われる事は無く、晋の時代になると太常まで昇格、孫娘の諸葛婉は晋の武帝(司馬炎)の夫人となった。

27 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 23:38:34 0
諸葛誕……三国時代後期の魏の武将・政治家。字は公休。出身地は琅邪郡・陽都県。「天下の大軍師」諸葛亮の族弟(いとこ)に
当たる。実際は諸葛瑾、諸葛亮兄弟の近縁の親族ではなく、遠縁であり琅邪諸葛氏の本家筋とみる説がある。

後世の人々は「蜀はその竜を得て、呉はその虎を得、魏はその狗(犬)を得たり」と言い、諸葛亮を竜、諸葛瑾を虎、そして諸葛誕を
狗に例えた。些か諸葛誕に対しての酷評が過ぎていたが、蜀でも呉でも彼に対しての評価、名声は高かったという。

魏の朝廷に仕官してから何事もなく順調に昇進を重ね、尚書郎から御史中丞・尚書に就いていた。この時から夏侯玄達と交友する様に
なった。その諸葛誕の昇進の理由としては、例として人物推挙をに関しては贔屓なく公平に行うなど、先祖が厳格な性格で知られている
後漢王朝の忠臣・諸葛豊の血を受け継いでいるかの如き、剛直かつ謹厳なる性格にあった。

その気性から同僚のケ?らと共に朝廷でも評判は良かったが、彼を快く思わぬ人々が明帝(曹叡)に「表面的な華やかさを追い、虚名を
集めているから、諸葛誕の様な人間を蔓延(はびこ)らせてはならない」と讒言する者がいて、明帝もまた彼に対して「名声は画に描いた
餅の様なもので、飢えを満たす事が出来ない」と批判し、一時、諸葛誕は官職を剥奪される不遇に陥った。

その後、明帝が崩御すると、親友の夏侯玄達が諸葛誕の現職復帰を願い出てくれたお蔭で揚州刺史・昭武将軍を歴任する事になった。この
頃、急速に政権を掌握し始めた司馬一族の専横に対して王凌が反乱を企てた。これに対し司馬懿は諸葛誕を鎮東将軍に任命して東征に軍を
起こし、諸葛誕が呉に対しての防備を一任された時でもあった。結果、諸葛誕の活躍により王凌の反乱は鎮圧され、彼は山陽亭侯を拝命
された。また同時に、軍事においても素晴らしい才能を持っていたとも言える。しかし、この王凌の反乱が導火線となり、魏で司馬一族の
専横が強くなっていくのを見逃せぬ者達が各地で反乱を起こしたのである。嘉平6(254)年、諸葛誕の親友である夏侯玄が李豊、
張緝と共に皇帝・曹芳の血の詔を頂き、夏侯玄を大将軍にして司馬一族を押さえようとしたが、その一端である司馬師の暗殺計画が露見
して失敗、夏侯玄、李豊、張緝は三族皆殺しにされ、皇帝・曹芳も退位を余儀なくされたのである。次いで夏侯玄の友人であった毋丘倹と
文欽、そしてその息子の文鴦が反乱を起こし、同じく友人である諸葛誕を反乱軍に引き入れようとしたが、諸葛誕はそれは「非道の行い」で
あると非難し、拒否。魏の禄を食みながら反乱に肩を持つ事が出来なかったのである。そこで朝廷側、つまり司馬師の将軍として豫州の
兵を指揮し、寿春に軍を向けてケ艾、胡遵達と刺史雲人の働きを見せ、反乱軍を潰走、文欽は呉の亡命した。更には淮南の反乱に乗じて
攻めてきた呉の援軍も撃破、その時勇将で名高い留賛を討ち取り、諸葛誕は高平侯に封じられると共に、征東大将軍・儀同三司に任命、
反乱を鎮圧させた軍事才能を高く買われ、同時に魏の重臣としての地位を得たのであった。

(次に続く)

28 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 23:39:36 0
しかし、名実と共に魏の重臣になれど、夏侯玄、毋丘倹等、諸葛誕の周りの友人が悉く司馬一族に粛清された事を疑問に思い、
「次は……俺の番なのか!?」(この台詞は『三国志大戦2』の『諸葛誕』の人物像より抜粋)と自分が征伐される事を気にし出した
のである。其処で彼は自分の保身の為、私財を擲(なげう)って民衆に恩恵を施し、諸葛誕の為に命を賭けるほどの遊侠の私兵
数千人を遇した。彼としては司馬氏の権力に対する恐怖からの保身策であったが、司馬氏からすれば、「これは反乱を企んでいる」と
いう絶好の口実以外の何ものでもなかったという。甘露元年(256年)、司馬師が手術した左目の瘤の傷口が悪化した事によって
逝去し、これを機に呉軍が淮南に再び攻撃を仕掛けてきた。間諜(スパイ)からの報告で魏の朝廷は直ちに征東大将軍である諸葛誕に
呉軍を征討する様にした。このとき、諸葛誕は「寿春の防備のため、朝廷より十万の援軍を派遣して頂きたい。」と要求。それを聞いた
司馬師の弟・司馬昭は諸葛誕がこれ以上兵力を掌握するのを恐れ、援軍を送らなかったものの、翌甘露2(257)年、懐柔策として
司空に任命し、洛陽に上京するように詔書を送ったが、諸葛誕は「三公になるのは序列からして王昶が先であるはずであり、また、もし
官位に釣られてのこのこと上京すると、自分は殺される」と恐怖を抱いたのである。しかし、魏の朝廷の召喚命令に背けば立派な叛逆で
ある為、諸葛誕は遂に寿春に於いて決起を決意した。

しかしこの洛陽召還は諸葛誕の内心を見越した、司馬一族の腹心である賈充の策であり、早めに彼を暴発させて芽を摘もうという計算で
あったと言う。

恐怖の余り朝廷に反旗を翻した諸葛誕はまず、自らの指揮で私兵を用いて淮南付近の4万の屯田兵を傘下に治め、兵糧を略奪すると、
揚州に兵を向け、揚州刺史の楽[糸林](楽進の息子)を討ち取り、その兵をも吸収、一年分はある莫大な兵糧を運び込んで寿春城で篭城、
しかも十万以上もの大兵力を率いて万全の策を取った。また更に部下である長史の呉鋼と末子の諸葛?を人質として呉に派遣し、
援軍を要請した。そこで、呉は魏の内乱を絶好の機会と見なし、全懌、全端、唐咨、王祚を将軍とするおよそ3万の兵力で援軍を送り、
無事、寿春城に入城させた。先立って文欽を寿春城内に送り込んで諸葛誕を驃騎将軍に任じた。その後、遅れて魏軍が王基を将軍として
寿春城を取り囲んだ。これに乗じて蜀軍は姜維率いる4万の大軍で北伐遠征を決行し、駱谷まで進軍してきたので、司馬昭は魏国の危険を
感じ、すぐさま皇帝・曹髦(高貴郷公)に討伐の軍を起こす事を上奏した。そして二十六万もの大軍を率いて、まず寿春城を、王基らに
兵で二重に囲み、呉の援軍が到着できないよう牽制させる備えを陣取った。また姜維率いる蜀軍に対してはケ艾、司馬望を派遣して指揮を
任せた。

29 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 23:40:50 0
(>28の続き)

寿春城内では呉の援軍が到着出来ない事に苛立ちを感じた文欽が、この水も漏らさぬ包囲網に何度が血路を開こうとと城外に討って
出たが、魏軍の堅固な包囲網にそれもかなわず、呉の援軍の大将・朱異が何とかして城内の諸葛誕と合流しようと突撃を試みたが結果は
同様であった。これに呉軍の大将軍である孫[糸林]が苛立ち、将軍がだらしないという事で朱異を処刑してしまった。孫[糸林]はこの
ように味方の将軍を殺すだけで、たいした攻撃もせず諸葛誕の援軍として期待できるものではなかった。

一方、姜維率いる蜀軍は4万の兵で駱谷から沈嶺にまで進軍したとき、長城の防備が手薄であることと、そこが兵糧の貯蔵庫であると
いう情報をを間者から受け、長城に軍を向けた。ケ艾、司馬望は長城に陣を構えて蜀軍に当たり、応戦せず持久戦の構えを見せたので、
補給線が長くのびきって兵糧の運送が困難な蜀軍は退却した。魏はこの様に司馬昭の即断な戦略によって蜀・呉からの両面挟撃を乗り
切ることができたのである。

寿春城は堅固な守りを見せ、まだまだ陥落の兆しはみせなかった。しかし古来、篭城とは外からの援軍を当てにして成り立つ作戦である。
孤立してしまった軍隊には到底正気はない。蜀軍・呉軍の戦況が思わしくなく、城内の食糧も欠乏しかけてきた頃、作戦会議で部下の
蒋班、焦彝が一点習忠の強行突破を進言したが、取り上げられないどころか蒋班を処刑しようとしたので、二人は魏に投降してしまった。
この時諸葛誕の精神状態はすでに正常ではなかったといえるだろう。258年、諸葛誕と文欽は全軍突撃の強行突破を何度か強行したが、
どうしても突破できず、城内の食糧は底をつき、脱走兵も続出する有様であった。文欽は 「食糧もほとんど残っていない。北方の兵を
城外に出し、呉の軍勢だけで城を防備してはどうだろうか」と献策したが、元々彼の素行ぶりや荒い気性、残忍な性格に嫌気をさしていた
諸葛誕はそれを退けたため、二人の確執は更に深まっていった。そして遂に諸葛誕は作戦を持ちかけてきた文欽を殺してしまった。これを
見て文欽の子である文鴦と文虎は諸葛誕を見切り、その夜のうちに魏に投降した。

文鴦と文虎は司馬昭と引見し、関内侯に拝命して重く用いられた。司馬昭は一計を案じ、なんと二人を将軍として寿春の包囲軍に参加
させたのである。これは食糧の尽きた寿春の兵達に絶大な効果を発揮した。降伏すれば命は助かることが保証されたも同然なのである。
諸葛誕軍は士気が奮わず、もはや抵抗するものもなかった。諸葛誕は最後の迎撃を試みたが、城内にはすでに魏軍が侵入してきており、
魏の胡奮に斬られ、遂に寿春城は陥落した。九ヶ月間の叛乱が終結したのである。

諸葛誕の首は洛陽に送られ、三族は責任をとらされ誅殺された。この時彼の麾下であった兵士百人は「諸葛公は我らと共にあり。諸葛
公のために死ぬなら悔いは無い!!!!!」と見事に言ってのけた後処刑された。部下が殉死を選ぶくらいに彼は人心を掴んでいたので
ある。

30 :名無しになりきれ:2007/10/25(木) 23:42:10 O
助けてよ荒らされてる

31 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 23:44:17 0
(>30の続き)

(最後に)

彼は愚直なまでに忠臣であった。叛乱も司馬師に殺される恐怖から踏み切ったのは否めないが、魏の忠実な将軍として曹操から続いた魏の
血統を司馬一族が取って代わるような政権略奪が許せなかったのも事実であろう。そして最後まで司馬一族に抵抗し、忠義を全うしてその
生涯を閉じた。この主君に対する誠実な気性は諸葛亮をはじめとする諸葛一族の特徴であるような気がする。しかし諸葛誕に対する評価は
低く冒頭でも記述した通り、狗といった酷評である。この酷評はやはり叛乱をおこしたという汚点がその評価を決定付けたのであろう。
またその戦の仕方もまずかった。追い詰められるほど混乱し、とても空城の計をやってのけた諸葛亮のような冷静さが備わっていたとは
思われない。味方を最後まで信用できなくなってしまったのが敗因である。諸葛誕の反乱は疑心暗鬼にはじまり疑心暗鬼に終わったと
言って良いであろう。しかし、兵士に殉死を選ばせたその将としての器は戦国時代の末期の人物、田横に準(なぞら)えられる程で、
決して「狗」の一言で片付けられる凡将ではなかったことは間違い無い。

尚、余談だが、晋王朝の代の頃、王位継続の争いである八王の乱で、諸葛誕の外孫であった東安公・司馬?は諸葛誕を裏切った文鴦を
恨み、当時晋王朝の実権を握っていた楊駿の一味と讒言し、文鴦及びその三族を皆殺しにしたという。


……さて、ここまでですね。まあ、あと諸葛[見]殿やその御子息である諸葛恢殿が残っておりますが、その方々に関しての件はまた
後で述べておきます。

32 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/25(木) 23:55:03 0
>6
諸葛[見]殿ですね。分かりました、あと御子息の諸葛恢殿についても記載させておきますね。

諸葛[見]……三国時代末期の魏、後に呉の武将。字は仲思。司馬一族に対して反乱を起こした諸葛誕の末子。257年に諸葛誕が、
司馬昭に対して反乱を起こした為、呉の救援を得る為に諸葛[見]は人質として呉に下った。その後、諸葛誕の乱が鎮圧された後は
そのまま呉に残り、右将軍になった。

その後、呉が晋に滅ぼされると諸葛[見]とは幼馴染であった司馬炎が昔のよしみもあって諸葛[見]を大司馬に取り立てようと
したが固辞して受け入れず、そのまま隠遁。また、晋への恨みを忘れず、決して晋の都である洛陽の在る方向を向かなかったという。

諸葛恢……東晋の政治家で、字は道明。祖父は三国時代、魏に仕え、司馬一族に対しての反乱を企てた諸葛誕。父は魏から呉の武将
になった諸葛[見]。諸葛亮・諸葛瑾の親戚筋に当たる。

若くしてその鋭い才能を知られ、琅邪王氏の王導と共に名声は高く、華南の地に限られたうえに国家的に不安定な東晋を切り盛りした。
若い頃、その王導に「黒髪の宰相になるだろう」と言われた。

元帝・明帝・成帝に仕え、342年に尚書令(宰相)に昇進する。345年、62歳で亡くなった。


……尚、三国志大戦では私は杜預殿を総大将とした晋軍との攻防戦で沈瑩殿から降伏を薦められたのですが、
実際は諸葛[見]殿からも薦められた事もあります。まあ、彼はその時逃亡いたしましたが、今考えても彼の
取った行動は良かったと言えます。何故なら彼は孔明殿と同じ諸葛一族であり、このような悲運の中で朽ちて
もらいたくは無い、と思っていましたから……。

ただ、「三国志大戦」で彼と一緒に戦えなかったのは少々残念だと思います。

33 :名無しになりきれ:2007/10/26(金) 00:27:27 0
張悌もみもみ

34 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/26(金) 01:29:19 0
>7
沈瑩殿、ですか。彼は明朗快活な性格で常に孫呉の為に守る事を考えていましたね。あの、孫呉が風前の灯となった最後の戦いの
時も……。

彼についての説明は、「三国志演義」では牛渚という所で私と共に晋の勇将である周旨殿に討ち取られ、史実では青巾賊という、
丹陽の精鋭兵を率いて晋軍を迎え撃ち、敗れて捕まり、王渾殿に斬られたと書かれているだけです。

しかし、常に彼のそばにいた私としては、彼はこういった文献以上の彼自身を遥かに凌ぐほど、非常に勇ましく、頼りになる人だと
思いました。今度、生まれ変わった時は、彼と共に天下を取りたいですね。例え、天下を取れなくとも、共に親しく過ごし、人生を
全うしたく思います。

ただ、好物が百足というのは少し受け容れ難い事ですゆえ、それは止めて欲しいとも思いますけどね……。

沈瑩殿の百足好きは、
http://www.wikihouse.com/sangokushi/index.php?%A5%AB%A1%BC%A5%C9%A5%EA%A5%B9%A5%C8%A1%A7%B8%E2%20Ver2.1
http://72.14.235.104/search?q=cache:NooG18l3c4oJ:www.toroia.info/dragon/index.php%3F%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%83%87%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9+%E6%B2%88%E7%91%A9%E3%80%80%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%83%87&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp)を
参照して下さい。

35 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/26(金) 01:30:33 0
>8、>9、>10
まあまあ、私は如何なる質問が来ようとも、きちんと返します。
なのでここは落ち着いて、御茶でもどうぞ。

つつ旦 旦 旦

倭国の宇治という所で購入した緑茶で、ほんのりとした甘味と円やかさが心を落ち着かせてくれます。
どうぞ。

ふむ、蜀が滅ぶという予言ついてを知りたいと……。分かりました。

まず、魏は曹操殿の功績が基盤となって建てられた国ですが、民はその威勢を恐れても、心から服したわけではなく、その上
御子息の曹丕殿、更にその御子息である曹叡殿はその曹操殿の威勢を保つような政策を取った。これでは民心が失って久しく
なります。そこで司馬懿殿が政権を掌握すると、しばしば功を立て、政治の煩雑さと苛酷さを取り除いているので、民が司馬氏に
心を寄せる様になるのです。故に、王凌殿、毋丘倹殿、そして諸葛誕殿が反乱を起こそうが、高貴郷公(曹髦)殿が不慮の死を
遂げても、周りは大して動揺しませんでした。敵は容赦なく排除し、賢者を取り立てて本領を発揮させ、智勇を兼備していなければ、
このような事は出来ないのですが、そういった要素を司馬一族は持つ事が出来た為に斯様な事が成し遂げられた。。また、それ故に
その威武は広がり、人々の気持ちが靡くので、簒奪という奸計も成算として立つのです。

斯様な経緯があり、民を味方に付けた司馬氏ですから、民が疲弊した蜀を攻め込めば勝利は確実であり、例え負けてもその衝撃は
大したものではない、と分析し、蜀は魏の滅ぼされると予言したのですよ。

>11
ありがとうございます。ではこの張巨先、皆様の御期待に沿うよう、最後まで戦う所存です。

>14
む……、どうなさいましたか、斯様に驚いて? 理由が無ければ此方としてはどうしたら良いのか分かりませぬ故、いつでも宜しい
ので理由を添えて下さい。

36 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/26(金) 01:31:32 0
>20
ふむ、別に宜しいですが、斯様に感情を爆発させるのは周りの方々に対しての迷惑となりますゆえ、御自重下さい。

>21
御忠告ありがとうございます。まあ、斯様に上げているのは後世の方々は私(のみならず、他の方々もですが……)の事に対して
余り知られていないゆえ、こうして少しでも知って頂く為に上げている所存なのです。

軌道に乗りましたら、其処から下げて維持を努めますので、御安心下さい。

>22
ふむ、調べてみましたが、確かに読めない事も無いですね。ですが、「シコシコ」というのはどういう意味でしょうか?

>23
貴方もですか。まあ、これも確かに読めますね。しかしこれも「ニート」というのが何か分かりませんね。もし宜しかったら
教えて頂けませんか?

まあ、確かに膨大な量ですが、これだと拝読される方々に対して読める配慮を施していませぬゆえ、この場を借りてお詫び
申し上げます。

誠に申し訳ございませぬ。

>24
大将軍、ですか。しかし大将軍と言っても様々な方がおられますからね……。漢王朝末期の何進殿や夏侯惇殿、袁紹殿に諸葛恪殿に
諸葛瑾殿等々……。

申し訳ございませぬが、分かり次第一言を送っておきますので、どの大将軍の方なのか、教えてくれませぬか?

37 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/26(金) 01:32:32 0
>25
ありがとうございます。此方としても力の続く限り皆様からの御質問に対して誠心誠意を以て返していきますゆえ、これからも
宜しく御願いいたします。

>30
何と、何処が荒らされているのですか? 救援に参りますゆえ、場所を案内してください。

>33
ええと……、何をなさっているのですかな? 
斯様に無礼な行為は制裁を受けてもらいますゆえ、覚悟して下さい。では、

                                                   
                            ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!             
   ヽl   ,、 l/
  〃")' ~´ヘヘ)"ヽ            ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
  !( ソノ八)ヽ) ソ           ;;;''''
    ヾl.・∀・ノ!    )) 卩__ ,.';;''
o=====U===∩====[]コ[i(●==冫                                >>33 ))゜3゜)
    ./ソ、j、iヾ.   ))  |ノ ̄ ̄ ヽ;,,
    .~(ノ!_j~´             ''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

  __/\_
/さらばです\

38 :33:2007/10/26(金) 01:38:25 0
丁寧な返事の後だから肩凝ってると思って揉んであげたのに)´;ω;`)

39 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/26(金) 01:39:28 0
……さて、どうやら追いつく事が出来た様ですね。

宵の口ですので私はこれにて失礼致します。また何かご質問があらば、
どうぞ遠慮無く此方にお寄せ下さい。

この張巨先、力の続く限りお返し致します。

では、さらばです。

40 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/26(金) 01:42:19 0
>>33
(……!!!!!!)これは失礼致しました。 ではこの非礼を詫びるべく、此方を御贈り致し
ますゆえ、どうか御受け取り下さい。

つつ[戸隠蕎麦]

では本当にさらばです。

41 :名無しになりきれ:2007/10/26(金) 08:09:58 O
君、せめて柵か伏兵くらい持ちなさいよ。使えないカードじゃん


まぁ確かに実質何にも出来なくて国が滅びた訳だから能力低くて当たり前だわな

42 :名無しになりきれ:2007/10/26(金) 12:29:16 0
三国志以外の質問もいいですか?

43 :亀田興毅:2007/10/26(金) 23:13:14 O
張悌はん、えらい張りきってんな。ええこっちゃ。
ええこっちゃやけど、張りきりすぎて羽目外したら
あかんで。

俺らみたいな事になりかねんからな。そこだけ気い付けや。

まあ、俺からはそんだけや。

これからも頑張ってや。じゃあな。

44 :呉文官:2007/10/26(金) 23:54:58 0
張丞相、わ

45 :呉文官:2007/10/26(金) 23:58:23 0
張丞相、わが国最強の丞相は陸昭候(陸遜)様だと思いますが。

46 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/27(土) 01:56:07 0
………来ました。どうやら倭国では季節外れの野分が来襲するようですね。
皆様、どうか己の身の危うさを感じたら逸早く安全な場所へ避難して下さい。

さて、来ているようですね。では返すと致しましょう。

>41
ええ、誠恥ずかしながら、丞相という国家の重要な位に就いておきながら国を守れなかった事に対して、今でも痛く思っております。
私も貴方同様、もし新たなる「三国志大戦」に自身が出るならば、次は覚醒のみならず、伏兵或いは防柵を携えて出たく思いますね。

>42
ええ、宜しいですよ。是非お寄せ下さい。

>43
ありがとうございます。この張巨先、貴方のその御奨励を糧とし、これからも頑張る所存でございます。

しかし確か貴方は倭国では知らぬ人は全くと言って良いほど名高い拳闘士の方でしたね。確か指導役の父君と共に、同じ拳闘士である
弟君に反則行為を促すような助言をした……。

確かに斯様な行為は公平な競技を損ないますゆえ、許されるべきものではありませぬが、今回の会見では誠心誠意を以て謝罪し、かつ
主に父君が試合を損なわせた責任者であるにもかかわらず、誇りに思うその心は非常に素晴らしいものだと思いましたよ。

なので貴方も今回の件をきっかけにして、生まれ変わり、誠に強い拳闘士として再び君臨して下さい。

47 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/27(土) 01:57:32 0
>44-45
確かに。貴方の仰るとおり、孫呉は皇族である孫一族を除くと、陸昭侯の御力無しでは保持する事は出来なかったでしょう。陸昭侯は
軍事面に於いては蜀の侵攻を防ぐばかりか、また再び蜀と和解を果たして魏の侵攻を防ぎ、また、内政に於いても民を非常に慈しみ、
善政を敷く等……、正に孫呉の大黒柱とも言うべき御方でした。

ただ、陸昭侯のみならず、その御子息である陸抗殿、長く孫呉の御意見番であった張昭殿に顧雍殿、諸葛瑾殿、諸葛恪殿に
丁(奉)将軍の御力もあっての孫呉であるのも確かでした。それを証拠に、この方々が亡くなられると、一気に孫呉は力を失い、
滅亡へと……。

それを考えると私は何故、陸昭候や陸抗殿の様に真剣に孫呉の事を思い、対処が出来なかったのか。
ただ、ただ恥じるばかりです…………。

………しかし、そんな私でも、孫呉という国に対しての、せめてもの償いとして、孫呉の誇りと素晴らしさだけでも、貴方がたに
伝える事は出来ます。ですから貴方がたもこれを機に、孫呉の事を心に留め、覚えておいて下さい。


さて、そろそろ宵の口のようですね。私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたからの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以てご返答いたしますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

もし、万が一、完走果たさずしてこの砦が潰え去った時は……、死ぬまでです。

では、さらばです。

48 :名無しになりきれ:2007/10/27(土) 02:03:47 0
これほど腰の低いスレタイ主は見た事が無い……。

49 :名無しになりきれ:2007/10/27(土) 02:06:06 0
ぶっちゃけ、このなりきり板かキャラネタ板でライバルがいるとすれば、誰ですか?

50 :名無しになりきれ:2007/10/27(土) 03:39:06 0
砦の打ち切り阻止すべく、この俺が50を取ったぞ!!!!!

51 :どよ:2007/10/27(土) 05:02:10 O
破竹!破竹!破竹!破竹!

さっさと飛べよ!し〜ば〜く〜ぞ!

52 :名無しになりきれ:2007/10/27(土) 11:18:35 0
どうすれば、頭がよくなれますか?

53 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/28(日) 22:26:42 0
……来ました。野分はどうやら南海の方に逸れ、今日は良い天気になった模様で良かったですね。

では来ている様なので、返させて頂きます。

>48
「すれたい」……、それは私の事ですね? いやいや、私は人に自分の事を押し付けたり誇張する事が嫌いですからね。
斯様な事をすれば、周りから恨みを持たれ、己の身に災いが降りかかってきますから。常に一歩譲り、控えていれば
その様な事は無く、己の身は安全である。一種の処世の術ですよ。

>49
率直に申し上げますと、いません。それに、仮に例えいたとしても、その人とは何の関係も因縁もありませんし、寧ろ
無理矢理好敵手に仕立てあげると言うのは無礼の極みであり、自ら周りから嫌われる様に仕向ける事です。

>50
ありがとうございます。聞けばここまで到達せず、そのまま放置などをした場合、自動的に短期間で撤収するそうですね。
それを防いでいただいた事は誠、有難く存じます。

貴方の功労を無駄にせぬよう、これからも頑張る所存です。

54 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/28(日) 22:28:19 0
>51
杜預殿……、普段から冷静沈着なる御方が何という事を……。余りこればかりはしたくなかったのですが、致し方ありませんね。

……では、



                                                   
          ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!             
   ヽl   ,、 l/
  〃")' ~´ヘヘ)"ヽ            ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
  !( ソノ八)ヽ) ソ           ;;;''''
    ヾl.・∀・ノ!    )) 卩__ ,.';;''
o=====U===∩====[]コ[i(●==冫                                >>51))゜3゜)
    ./ソ、j、iヾ.   ))  |ノ ̄ ̄ ヽ;,,
    .~(ノ!_j~´             ''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

  __/\_
 /さらばです\


>52
そうですね……、稀に魏の鍾会殿の様に「神童」と呼ばれるほど、生まれつき冴えておられる人がいますが……、幼き頃から様々な
事を学び、記憶に留めるのが最もな方法ですね。そうすれば「雀百まで踊り忘れず」という諺の通り、学んだ事の多くがずっと残る
はずです。

人は、大人になれば「あの時に学んでいれば良かった」と後悔の念に襲われる事がありますが、孔子殿の書である『論語』には
「少年老いやすく、学成り難し」という言葉の通り、大人の時点で学んだとしても、穴の開いた鉢に水を貯めるが如く、記憶の
中に留めようとしても漏れる事があります故、頭が良くなる事は難しいものなのです。

しかし、それでも「頭が良くなりたい」というのであれば、呂(蒙)都督や蒋(欽)将軍の様に一念発起して勉学を、特に貴方
なりに面白く、記憶の中に留まりやすい方法で励む事をお勧め致します。然すれば、貴方は今より「智」に目覚める事でしょう。

55 :名無しになりきれ:2007/10/28(日) 22:29:54 0
宇宙1の嫌われ者になるにはどうすればいい?

56 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/28(日) 22:42:07 0
>53
「宇宙一の嫌われ者」、ですか……? 斯様な事を申されましても、天地開闢の頃からそれほど嫌われていた者というのは一人も
おりませぬゆえ、私には分かりませぬ。それに何故、それほど嫌われたいのかが理解しがたい事ゆえ、例え知ったとしても御教えは
出来ませんね。

何があったのかは分かりませんが、貴方はまだ若い。斯様に捻くれなくても、貴方には味方となる人は必ず周りにおりますゆえ、
「宇宙一の嫌われ者」より、「宇宙一の愛される者」として励んで下さい。

57 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/28(日) 22:44:12 0
ああ、間違えましたね。
>53ではなく、>55殿でした。

斯様に安易な間違いを起こすとは、私もまだまだのようですね……。

58 :名無しになりきれ:2007/10/28(日) 23:06:03 O
たかが知力8の火計で知力7は飛ばないと思うんだ・・・逆に破竹で飛ばされるだけだと思う

59 :名無しになりきれ:2007/10/28(日) 23:08:55 0
じつは、悪役になりたくて
色々な人の話が聞きたいんだ
張悌さん、助言お願いします!

60 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/29(月) 00:27:19 0
>58
まあ、確かに。ですがそれでも大きな打撃を与える事には変わりはありませんからね、私が身を引いてもあとの方々に対処を任せれば、
杜預殿でも諦めざるを得ないと思いますよ。

>59
なるほど、悪役を目指しておられているのですか……。そうですね、まあなるとすれば……、魏王となり、漢王朝の権力を掌握した
曹操殿の様に、自分を信じ、かつ自分の信念を堅く持ち、物事をやり通し、随所で思いやりを見せる様な悪役が良いでしょうね。

ああいった悪役なる方は、漢(おとこ)の生き様として、憧れを抱く人が多いですからね。

ただ、間違っても我が孫呉の後主である御方(=孫皓)や、蜀の黄皓殿の様な悪役にはなってはいけませんよ。
あの方々は単に権力や物欲に溺れた、単なる嫌われ者にしか見えませんからね。

まあ、後主様の場合は大帝陛下(=孫権)が引き起こしたといわれる、跡目争いの後遺症で孫呉の国力が消耗し、その上晋の勢力が
強大になった事を憂いを感じたがゆえに、斯様な事になりましたからね。気持ちは分からないでもないのですが……。

抽象的で助言として成り立ったかどうか分からなくて申し訳ございませんが、そういう事です。
また何かありましたらば、遠慮なく申して下さい。まあ、私で良ければ、ですが。

61 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/29(月) 01:52:36 0
……さて、そろそろ宵の口のようですね。私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を以てご返答いたしますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、秋の風が冷ややかになりつつありますので、皆様どうか風邪を引かぬよう、お気をつけ下さい。

では、さらばです。

62 :名無しになりきれ:2007/10/29(月) 01:53:17 0
好きな季節は?

63 :名無しになりきれ:2007/10/29(月) 01:53:38 0
じょ、丞相!!!!!
し、下にゴキブリが!!!!!

64 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/29(月) 02:04:39 0
少し忘れ物をしたので戻って参りました。

……来ているようですね、では返すと致しましょう。

>62
ええ、それは今の季節である秋ですね。秋は食が美味であり、空気が清々しくて
心が爽快になりますから。それに、秋の陽光は様々な風景、特に雑木林を黄金色に
染め、綺麗な光景を彩ってくれます。

なので私は秋が好きなのですよ。

>>63
落ち着きなさい。例え周りから忌み嫌われている虫であろうと
彼は一生懸命に生きているのです。余程の事が無い限り、無闇に
殺めようとするのは良くありません。それに、此方から手を
出さなければ自然と去ってくれます。だからここは待つに越した事は
無いので、ここは去るのを待とうではありませんか……。

さて、どうやら此処までのようですね。
では今度こそ本当に、さらばです。

65 :名無しになりきれ:2007/10/29(月) 02:07:26 0
秋の風物詩といえば?

66 :名無しになりきれ:2007/10/29(月) 08:26:23 0
次スレの予定は?

67 :名無しになりきれ:2007/10/29(月) 20:36:27 O
どうすれば呉は滅びなかったと思いますか?
大殿か亡くなった時、呉の運命は決まってしまったのでしょうか

68 :名無しになりきれ:2007/10/29(月) 20:38:51 O
結局は姜維も馬謖も似たようなもんですよね

69 :名無しになりきれ:2007/10/30(火) 01:49:26 0
【植松】夏まっさかり!呉燕ゼノギメト王国!【美雨】
ttp://etc6.2ch.net/test/read.cgi/charaneta2/1187360919/

こことは違う時間軸の呉の方ですか?

70 :名無しになりきれ:2007/10/30(火) 04:27:33 0
>>69
前スレ削除されてる糞コテ荒らしスレ自重

71 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/30(火) 04:55:52 0
……来ました。今日は一日中晴れていましたが、汗が出るほどいつもよりかは暑気が増した天候でしたね。

まあ、それはさておき。今日も来ておりますね。では返すとしましょう。

>65
秋の風物詩、ですか。

そうですね……、私と致しましては、紅葉ですね。先に申しましたが、紅葉は鮮やかなる赤色を以て、陽光に
照らされたり、川に流されると彩り美しく映えますからね。

>66
ふむ、貴方はどうやら性急(せっかち)な性格のようですね。まだ建てたばかりですよ。

まあしかし、折角ですから御教え致しましょう。皆様の砦の評価によってこの砦が役割を果たし、引き続き
新たに砦を建てるか建てないかを決めます。それだけですよ。


あと、皆様に知っていただくべく、上げておきます。

72 :名無しになりきれ:2007/10/30(火) 04:57:13 0
早寝早起きですか?

73 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/30(火) 04:57:15 0
>67
そうですね……、大本の原因を申しますと、先代の大帝陛下(孫権)が後継者を明確にお決めにならなかった事が
原因でしょう。まずその発端といたしましては、大帝陛下の皇太子で在らせられます孫登様が若くして逝去された
事から始まります。

なので此処はその後継者争いである「二宮の変」を主に取り上げ、どうすれば良かったのかを説明致しましょう。

……その孫登様の死後、241年に今度は孫登様の弟君である孫和様に皇太子に指名されたのですが、本来、皇太子が
決まればあとの御子息、つまり庶子を王に封じ、赴任地に赴かせ、其処で政務等を執らせる等をして、皇太子との
待遇の差を付けねばならなかったのですが、庶子であり魯王に封じられた孫覇様を同じ宮廷に住まわせるなど、皇太子と
ほぼ同じ待遇にしてしまったのです。そうなりますと、「孫覇様でも皇太子になる可能性はあるのかもしれない」と考える
人々が出だし、挙句の果てには「孫覇様を皇太子に奉り上げ、呉の権力を掌握しよう」と画策する人も発生する様になったの
です。その画策する者の中で最も有力だったのが、大帝陛下の娘君であり、全(j)将軍の夫人である全公主(=孫魯班、
「三国志大戦」では字の「大虎」で知られている)様だったのです。彼女は孫覇様には後ろ盾となる母親がおらず、しかも
外戚もいない事を把握した上で孫覇様を擁護し、孫和様の母親である王皇后陛下を讒言で皇后の座から降ろそうとしたのです。

まあ、これはそもそも彼女の母親である歩夫人様が男子を産まなかったが為に大帝陛下によって皇后の座から降ろされ、
孫和様を産んだ王夫人を皇后として据えられた事に対しての恨みと嫉妬によってそうさせたと言われています。

そのあと、不思議な事に全公主様の行動に賛同する人々が集まり、またそれに対して孫和様を擁護する人々もまた集まって
互いに争う姿勢を見せたのです。そして当の孫覇様もまた、自分が皇太子になれる事を信じ、兄である孫和様と争う姿勢を
見せ始めました。

これが後世に名を残す「二宮の変」というものです。

(次に続く↓)

74 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/30(火) 04:58:06 0
因みに孫和様を擁護する人々の主力は、陸昭侯(陸遜)・顧譚・顧承・吾粲・張休・朱拠・屈晃・諸葛恪・陳正・陳象・
勝胤・施績・丁蜜といった、多くが孫呉の主流を占めている方々であり、それに対し、孫覇様を擁護する人々の主力は
全公主・全j・全寄・楊竺・歩隲・呂岱・呂拠・孫弘・呉安・孫奇といった、多くが要職にあれど、主流を支えている人々、
つまり亜流派の方々が占めておりました。

これらの面々を互いに揃え、主導権争いを展開しますが、その初めは陸昭侯が讒言で憤死されたり、また先の顧(雍)丞相の
御子息である顧譚殿や顧承殿、果ては長く孫呉の御意見番を務めていらっしゃられた張(昭)将軍の御子息である張休殿が
孫覇様とその一派の讒言によって交州へ流罪にされるなど、孫覇様を擁護する派閥が有利になり、歩隲殿が丞相に、左大司馬には
朱(然)将軍、右大司馬には全(j)将軍、上大将軍には呂岱殿と変わられたのです。しかし、それから間も無くの247年に、
その主力であった全将軍と歩丞相が相次いで亡くなられると、孫和様を擁護する派閥が盛り返し、ほぼ互角の争いを見せる様に
なるのですが、大帝陛下はその対策を示さず、ただ傍観していた、との事でした。

そしてその「二宮の変」に終止符を打ったのが勃発して10年後の250年でした。

ここに来て事態を重く見た大帝陛下は最早修復不可能とみなし、「喧嘩両成敗」として孫和様を庶子に落とし、孫覇様には自殺を
命じたのですが、この解決策は殆ど何の関係の無い孫和様にとっては、「ただ自分は兄の後を継いだだけなのに……。」と思えるほど、
気の毒なものでした。大帝陛下はその孫和様の不遇に気付き、再び孫和様を皇太子に戻そうと考えたのですが、自らの地位が危ないと
思ったのでしょう、かつて孫覇様を擁護した全公主様と孫弘殿が猛反対をして、結局孫和様は庶子として南陽王に封じられ、代わりに
当時、まだ7歳であった孫亮様が皇太子に据えられたのです。

それから2年後、大帝陛下は崩御され、まだ9歳の孫亮様は皇帝の位に就きました。ですが、皆様も周知の通り、まだ9歳と言えば、
まだまともに政務を執る事が出来ない年頃ゆえ、代わりに諸葛恪殿や一族の孫峻様、果ては彼の従兄弟である孫[糸林]様が政務を
執ったのですが、専横を極めただけであり、却って対外政策では失敗を繰り返し、内政でも大旱魃に見舞われたにもかかわらず、
対処を怠ってしまう等、孫呉を更に衰えさせてしまったそうです。それから呉の帝位は景帝陛下(孫休)に移ったものの、景帝陛下は
張布将軍に専ら政治を任せたものの、成果を上げる事が出来ず、彼は景帝陛下の後継者として「今の」後主様(=孫皓)を推薦したの
でした。

75 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/30(火) 04:59:29 0
……まあ、色々と長く話しましたが、私としては、分岐点は矢張り大帝陛下が後継者を明確に決めなかった事が一番の原因であり、
次に……、これは後主様には申し訳無いのですが、張布将軍が後継者として孫わん(「わん」は雨冠に「單」)様を後継者として
取り上げなかったのが原因だと思いますね。

まあ、後者は正直申しますと余り孫呉を永らえさせる効果は無いと思いますが……。

ともあれ、後継者を選ぶにすれば、君主が帝王学を十分に学び、長じた子息を指名する事こそが、国や民を守る、一つの切っ掛けと
なるはずです。

私からは以上です。また何かありましたらば、遠慮なく申して下さい。

>68
姜維殿も馬謖殿も似たようなもの、とはどういう事ですかな? まあ私としましては、彼らは共に蜀という国を守らんとした、
智勇兼備の将だと思いますね。

恐らく貴方は「彼らは自らを過信しすぎた事によって失敗を招き、また自らの身を滅ぼした」という事を申したいそうですね。
まあ、その点は私も貴方と同様に否めませぬが、国の為に戦った点は私と比べれば彼らの方が遥かに上です。なので貴方の意見には
半分は「賛成」で、後の半分は「反対」と取らせていただきますよ。

76 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/30(火) 05:02:52 0
>69
申し訳ございませぬが、見たところ我々孫呉とは全く関係が見当たりませぬゆえ、斯様な場所は全く存じません。

>70
何と、>69殿が紹介して下さった場所には、斯様なまでに嫌われている者が居られるのですか。
此方としてはなんとも言い様がありませぬが、嫌われる要素を逸早く払拭し、愛される者として変わる様、祈っておきましょう……。

>72
いえ、本日は久方ぶりの休日ゆえ、今まで起きておりましたが、もうすぐ床に就きます。
まあ、基本的には遅く寝る事があれど、早く起きる、と言ったところですね。


さて、もう宵の口……、というよりかは、もう夜明けのようですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの
質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を持って返答致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、もうすぐ晩秋が訪れますゆえ、逸早く衣替え等をして冬の訪れに対処出来る様、心掛けて下さい。

では、さらばです。

77 :名無しになりきれ:2007/10/30(火) 05:04:07 0
未だに半袖半ズボンのピザデブです^^

78 :名無しになりきれ:2007/10/30(火) 09:08:41 O
つまり二宮の乱は孫権のミスに始まり孫権のミスに終わるということか。
それにしても
呂蒙のような武勇に優れ、努力家で、人望も厚く、忠義心の強い男が嫌われ者になっているのは悲しい

79 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/30(火) 23:37:59 0
……来ました。今日は日中は晴れていたのですが、夕方頃から天候が芳しくなくなり、雨が降って参りましたね。まあ、お勤め
から帰る方々、くれぐれも風邪を拗らせぬ様、お気を付け下さい。

では来ている様なので返させて頂きます。

>77
ほう、半袖に丈が半ばの袴ですか。それほど健康が良好である事が良く分かりましたが、次第に冷え込んで参りますゆえ、
今のうちに衣替えをした方が宜しいでしょう。今の時期に風邪を拗らせると厄介ですゆえ、対処は早めに打たねばなりませんよ。

>78
大帝陛下には申し訳ございませぬが、そういう事になりますね。そう考えると、孫呉は大帝陛下の為にあった様なものだった、
ともとれます。また、この頃の孫一族の多くは何故か病や戦によって短命で終わる方々が多かったそうです。もし一族が長寿で
あったならば、孫呉も変わっていたのかもしれませんね。

(呂蒙について)そうですね、呂将軍は生まれが貧しく、若干16歳で大帝陛下の兄君である長沙桓王(孫策の諡)様に仕え、
引き続き大帝陛下の下に仕えて黄祖配下の陳蹴を討ち取り、また赤壁の戦いや江陵の戦い等で華々しい活躍をし、後に大帝
陛下から教養が如何に大切か諭され、薦めによって勉学に目覚め、智勇兼備の将へと変貌を遂げた、「努力」という言葉が
この人以上に似合う人はいないといっても過言じゃないほどの努力家だと思いますね。

ですが「三国志演義」では関羽殿を討ち取った事により、故事となっている「呉下の阿蒙に非ず」(勉学を積んだばかりの
呂蒙がある日荊州で魯粛に出会い、魯粛からのあらゆる質問をいとも容易に答え、それに驚いた魯粛から「呉下の阿蒙に非ず」
と評され、それに対して呂蒙が「士別れて三日なれば、刮目して相待すべし」と答えた逸話)が記載されておらず、そのうえ
宴の席で突然、関羽殿の亡霊に憑依され、、大帝陛下を散々に罵倒した挙句、体中の穴という穴から血を噴出して絶命すると言う、
何とも言い難い最期を遂げた、と書かれていますからね。此方としてもこれは余りにも酷いと思いましたよ、本当に……。

まあ実際は肺の病(肺結核と言われている)を患ったのが原因と言われております。……もし、この方も長寿だったのであれば、
孫呉もまた長く続いたのではないか、とも思いましたね。

80 :名無しになりきれ:2007/10/31(水) 00:38:01 O
あなたは三戦で僕によく絡んでくる人ですか?

81 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/31(水) 00:41:55 0
>>80
いいえ、私は三戦板には赴いてはおらず、貴方の事を存じませんよ。何があったのかは分かりませぬが、斯様に人を疑うのは
余り印象としては良くありませぬゆえ、慎んだ方が宜しいでしょう。

82 :陳泰 ◆NpXZMB1EEA :2007/10/31(水) 01:58:15 0
突然ながら失礼致す!!!

初めまして、呉の丞相・張悌殿。私の名は陳泰、字は玄伯と申します。
魏の雍州刺史及び尚書左僕射(皇帝側近の秘書官の一つ)を務めている
者であります。

ところで貴公の砦を拝見いたしましたが、なかなかの応対振りですな。
何だか羨ましく思いますぞ。来訪者の往来も、私の所と比べたらかなり
多いようですし……。

まあ、そんな愚痴を言う暇があらば、自分で何とかしろというもの
ですがね……。

ともあれ、貴公の今後の健闘を祈り、これを贈りに参りましたぞ。
口に合うかどうかは分かりませぬが、どうぞ。

つ「『麩嘉』の桜麩饅頭」

倭国の京都で購入した饅頭でしてな、滑らかな口当たりとほんのりと
甘い餡が絶妙に合っていると評判らしいですぞ。

では、私はこれにて失礼致しますが、互いに違う所であれど、志は
共に同じですからな。お互い、最後まで頑張りましょう!!!!!

では、さらば!!!!!

83 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/31(水) 02:18:05 0
>>82
何と、貴公は魏では「法の番人」として名高く、官位登用制度である「九品官人法」を制定した
陳羣殿の御子息である陳泰殿ではありませんか。ようこそいらっしゃいました。

いやいや、私めもまだまだ未熟でありますよ。寧ろ貴公の様にありとあらゆる
方法で賑わせているのが誠羨ましく存じますね。

しかも斯様に可憐な贈り物まで……。ありがとうございます、このお返しは近々
果たしますゆえ、どうか心待ちになさって下さい。

史実では貴公と私は敵同士。ですが此処では貴公の申すとおり、確かに互いに
居る所は違っていれど、目指すものは共に一緒であり、鋼よりも強い絆で結ばれて
いると思いますね。

なので此方からも宜しく御願い致します。

84 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/10/31(水) 03:05:22 0
さて、どうやらもう宵の口ですね。

では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を以てご返答いたしますゆえ、どうか今後とも宜しく
御願い致します。

最後に、晩秋の冷え込みにはお気を付け下さい。油断しますと体調を崩しかねませんからね。
では、さらばです。

85 :名無しになりきれ:2007/10/31(水) 08:04:35 0
自信家についてどう思う?

86 :名無しになりきれ:2007/10/31(水) 13:31:44 0
おっぱいについてどう思う?

87 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/01(木) 00:03:20 0
……来ました。今日は地域の人々との交流会議が長引いたゆえ、来るのが遅くなりました。
まあ、地域の人々と斯様に交流を深めるのは、国の為になると思いますけどね。

では来ている様なので返させていただきます。

>85
なるほど、自信家ですか。何事にも取り組むのに怖気ず、堂々と実行するのは非常に頼りに思えますからね。斯様な人は必ず
居た方が良いでしょう。

ただ、諸葛恪殿の様に、自信過剰になって失敗した時、その分の信頼は山が崩れるが如く失墜し、己の身にも災いを来たす恐れが
ありますゆえ、ある程度慎みも覚えておいた方が宜しいでしょう。

>86
おっぱい……、それは女性の胸の事ですね?

私と致しましては、どうも思いませんね。確かに外見は大切でしょうが、中身はもっと大切ですね。
胸が大きかろうと小さかろうと、女性に思いやりや心優しさがあれば、それで良いと思っております
ので。

88 :名無しになりきれ:2007/11/01(木) 04:25:37 O
長生きしても陸遜と…いや、なんでもないです

89 :名無しになりきれ:2007/11/01(木) 07:41:27 0
宇宙人はいると思いますか?

90 :名無しになりきれ:2007/11/01(木) 09:15:50 0
人が時を移動する事は可能でしょうか?

91 :名無しになりきれ:2007/11/01(木) 10:59:25 O
三国一の愚か者って誰よ?
呂布?

92 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/01(木) 22:12:50 0
……来ました。昨晩は急な用事が出来たゆえ、中途半端に投げ出してしまいました。この場を借りて深く申し上げます。
申し訳ございませんでした。

では、新たに来ている方々の為にも、誠心誠意を以て返させて頂きます。

>88
む、長生きしても陸昭侯と……、とは? それは私が「長生きしても陸昭侯には及ばぬ」と言う事ですかな?

もし貴公がそう申したかったのであれば答えましょう。あの方の存在は正に孫呉そのもの。当然私の様な半端な人間が及ぶ
様な方ではありませんよ。

>89
宇宙人……、それはこの我々が住む地球以外にも、別の星に別の人々が住んでいる、という事ですね?

この広い宇宙にはありとあらゆるの事象が存在するという、「森羅万象」という言葉があります。ゆえに、私はこの言葉に
則り、宇宙人はいると思いますね。この地球の様に、生物が住むには最適な条件が揃っていればその可能性はありますよ。

93 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/01(木) 22:14:54 0
>90
それは人が「時」を遡ったり、今より先の「時」に進む事ですね? 

……よく物語等の類では時を遡ったり時を越えて過去や未来の出来事を解決させるという所が見受けられます。ですが、
実際にはある学者の説によりますと、西域の言葉である、それに似た「ワープ」という瞬間移動は宇宙にあるあらゆる力を
10倍集めねば実現は出来ないと申しており、「不可能である」と言う結論に至りました。それを考えますと、時を越えたり、
また遡ったりすると言うのはそのワープというものよりもその力を要する事になりますゆえ、夢のまた夢という事になりますね。

>91
三国時代の中で最も愚か者……。そうですね、「飛将」とうたわれ、三国時代の中で最も勇猛である呂布殿は確かに己の欲望に
弱く、それゆえに裏切りを繰り返し、かつ部下に対して思いやらなかった点を考えますと、愚かである事を否めませんね。

ですが、それ以上にその呂布殿を養子に迎え入れた董卓殿が矢張り最も愚かであると思いますね。彼は漢王室の権力を手にした
途端に己の思うが侭に振舞い、漢王朝の民を苦しめてきましたから……。

故に呂布殿に裏切られ、殺されるという最期を遂げたのは、必然としか言い様がありませんね。

94 :名無しになりきれ:2007/11/01(木) 23:01:02 O
孫家で最も優秀だったのは誰だと思います?

95 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/01(木) 23:39:29 0
>>94
そうですね、矢張り大帝陛下が最も優秀だったと思います。武列帝(孫堅の諡)陛下と
長沙桓王(孫策の諡)様が築いた基盤を大きくし、孫呉という一つの国を誕生させたの
ですからね。

まあ、武列帝陛下や長沙桓王様もまた、後の孫呉の基礎を築いた点を考えますと、非常に
優秀であった事は間違いありませんが。共にこれからという時に、かつ早く亡くなられた
事を考えますと大帝陛下に一歩及ばなかった、という感がありますね。

晩年が前述の「二宮の変」を引き起こし、同時に衰退を招いたのは気になりますが、
貢献度としては間違いなく大帝陛下が最も大きいと思います。

96 :呉の斥候:2007/11/02(金) 00:55:58 0
張丞相、張丞相!!!!! ここにおられましたか!!!!!
斯様な砦を見つけたのでここに住所を記しておきますぞ!!!!!

http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1189436482/

では、これにて失礼致します!!!!!

97 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/02(金) 02:03:12 0
>96
ありがとうございます。では早速見てみましょう。

おお、これは……、何とも賑やかな所ですね。しかも砦の主というのがかの袁紹軍の猛将として知られる淳于瓊殿とは!!!

彼の禍々しく、かつ凄まじき容貌とは裏腹に、斯様に丁寧かつ来訪者に対しての、思いやりのあるやり取りを見ていますと、
かなり落差があって面白い感じが致しますね。しかもその他に、呂布殿も丁寧に接しているうえ、後に魏の文帝である曹丕殿の
皇后となる甄洛殿や、果ては太史将軍に周(瑜)都督……。皆、素晴らしき心の持ち主であると共に、是非応援に赴きたく思い
ましたよ。

よし、では明日あたり、応援に赴くと致しましょう。

98 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/02(金) 03:46:01 0
さて、暫く待っていましたが……、どうやら宵の口のようですね。

私はこれにて失礼致しますが、貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を
持って返答致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、霜月に入りましたゆえ、くれぐれも風邪を引かぬよう、お気を付け下さい。
では、さらばです。

99 :名無しになりきれ:2007/11/02(金) 08:55:18 0
最強は誰?

100 :名無しになりきれ:2007/11/02(金) 11:53:47 0
張悌さんの理想の容姿の女性とは?

101 :名無しになりきれ:2007/11/02(金) 11:59:15 0
現陛下って、正味な話どう思いますか?

あと、勝てない戦に挑むってどんな気持ちですか?
投げ出して凡愚を装いたくなりませんか?

102 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/02(金) 23:09:16 0
……来ました。今日は曇り空でしたが、徐々に晴れ間を見せ、何だか希望が見出せた様な気がして清々しく思いました。
この陽光の様に、落日の孫呉にも光が差し込めたならば、嬉しく存じますが……。

では来ている様なので返させて頂きます。

>99
最強の武将、ですか。

そうですね、矢張り「飛将」の通り名で知られている呂布殿だと思いますね。彼は関羽殿や張飛殿といった勇将と互角に戦い、
引き分けましたからね。彼は狭量な心の持ち主ですが、それを補う武勇は凄まじきものですから。

孫呉に一人でも斯様な方が居たならば、孫呉は安泰であろうと思うくらいに……。

>100
理想の女性、ですか。
そうですね……、容姿は端麗で、気配りが上手く、花や動物を愛する清楚な感じの女性が良いですね。

まあ、これは私の戯言だと思って取っておいて下さい。

103 :名無しになりきれ:2007/11/03(土) 00:02:45 0
「三国志大戦3」で貴方出るかい?

104 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/03(土) 01:50:52 0
>100
理想の女性、ですか。
そうですね……、容姿は端麗で、気配りが上手く、花や動物を愛する清楚な感じの女性が良いですね。

まあ、これは私の戯言だと思って取っておいて下さい。

>101
(現陛下って、正味な話どう思いますか?)

後主様の事ですね。陛下は即位された当初は非常に思慮深く、民の為に善政を施しておられたのですが、幾ら立て直そうと務めても
その頃の孫呉の国力は先の「二宮の変」など、内部の争いによって深刻な疲弊を蒙り、而(しか)も強大な晋の力を感じ、絶望感に
苛まれた結果、暴君と化してしまいましたからね。そう考えますと、彼は「『時代』の被害者」だと思いますね。

……前ではかなり後主様の事をかなり悪評しておりましたが、素質的には長沙桓王(=孫策)様の再来と思わせるほど、実は君主と
しての器があったそうです。もし、良き時代に生まれていたならば、後主様は良き君主として国を支えていたのかも知れませんね。


(勝てない戦に挑むってどんな気持ちですか? 投げ出して凡愚を装いたくなりませんか?)

勝てぬ戦、ですか。正直申しますと悲しいものです。普通の人でしたならば、潔く降伏し、生きながらえる様に考えるでしょうね。

ですが、私と致しましては降伏するというのは、この祖国である孫呉と、陸昭侯と同じく、孫呉を愛し、かつ私の事を認めて
推挙してくれた諸葛瑾様を裏切る事になりますゆえ、勝てぬ戦であっても挑み、国と運命を共にする事が本望だと思いましたね。

私からは以上です。また何かありましたらば、遠慮なく申して下さい。

105 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/03(土) 01:52:05 0
>102
「三国志大戦3」ですか……。そうですね、出るかどうかはまだ分かりませぬが、私のような国に何も貢献をしておらぬ者が
出るのはお門違いの様な気がします故、私と致しましては出る可能性は低いのではないかと存じます。

さて、どうやら宵の口ですね。

では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を以て返答を致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

それと最後に、逆に私が皆様に質問致します。

皆様にとって私をどう思っているのか、知りたく存じますが、如何でしょうか?
御返事待っております。

では、さらばです。

106 :名無しになりきれ:2007/11/03(土) 15:48:19 O
正史での赤壁の戦いについて教えて下され

それと張丞相は3では排出停止との噂が囁かれておりますがどうお思いですかな?

107 :名無しになりきれ:2007/11/03(土) 19:08:52 0
>>105
俺は責任感が強く、しっかりした信念の持ち主だと思うよ。

それに、張悌殿は巷では「ハリー・ポッター」と呼ばれているそうだが、
どう思う?

108 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/04(日) 00:06:09 0
……来ました。今日は倭国では「文化の日」という事で賑わいが一入でしたね。

では来ている様なので返させて頂きます。

>106
「正史」での赤壁の戦いですか。

まずこの戦いを語るには、「三国志演義」での赤壁の戦いを基に、経緯を把握しておかねばなりませぬ故、
長くなりますが、宜しいでしょうか?

「三国志演義」
208年、華北をほぼ統一した曹操は進路を南の方に向け、江南を征服すべく、7月に50万の兵を率いて南下を開始、しかも
丁度その頃、荊州牧であった劉表殿が亡くなります。新たに牧に就任した劉j殿は後見人の蔡瑁殿の薦めにより、曹操軍に
あっさりと降伏、曹操は荊州軍を吸収し、兵数を「100万」号して更に南下し、その途中で諸葛亮殿の意見を取り合わず荊州を
手中にする事を諦め、大量の領民と共に南に逃れようとした劉備殿を追撃し、長坂坡で遂に追い付き、劉備殿を危機に陥れました。
しかし、この絶体絶命なる危機を勇将である張飛殿がたった一人で威嚇をして防ぎ、また逃げ遅れて曹操軍の中に取り残された
甘夫人(甘皇后とも呼ばれる)とまだ幼子であった劉禅殿を趙雲殿がこれまたたった一人で救い出した事により、夏口にいる
劉表殿の長男である劉g殿の下まで逃げ延びる事が出来たのでした。

一方、江東に勢力を伸ばしていた大帝陛下(=孫権)がその一報を聞いて驚き、文官及び武官を呼び、降伏するか抗戦するかの
会議を開き、文官の殆どが降伏を主張しておりました。しかし、その頃劉備殿の軍師であった諸葛亮殿が訪問し、また参謀である
魯粛殿もまた抗戦に傾いていた為、諸葛亮殿はこれを利用して大帝陛下を説得、また曹操が作った詩で「二喬(=大喬《長沙桓王
=孫策の妻》、小喬《周瑜の妻》)」を欲している事を聞いて激怒した周(瑜)都督までもが主戦論を唱えた事によって、大帝
陛下は抗戦する事を決意し、自らの机を叩き切り、「これより降伏を口にした者は、この机と同じ運命になると思え!!!!!」と
言い放ち、開戦を宣言したのでした。

因みに劉備軍と孫権軍の兵数は4、5万程度で、明らかに曹操軍とに太刀打ちできる数ではなかったそうです。

(次へ続く)

109 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/04(日) 00:07:25 0
両軍は長江に沿う赤壁で対峙し、緒戦では甘(寧)将軍の奇襲等によって勝利しますが、周都督は「大軍を有する曹操を相手にする
には火計しかない」と判断し、かつて周都督とは学友の友であり、後に曹操軍に属し、このときは周都徳を寝返らせる策として来た
蒋幹殿に、水軍の要であった蔡瑁殿と張允殿が「曹操軍を寝返る」という内容を認(したた)めた偽の手紙を掴ませ、曹操殿の手で
2人を殺めるという計略を使い、果たして蔡瑁殿と張允殿をその通りに謀殺したのでした。更には蔡瑁謀殺後に曹操の策によって
偽りの降伏をしてきた蔡瑁の甥の蔡中・蔡和に対してはわざと黄(蓋)将軍と言い争いになり、黄将軍を100発の杖叩きの刑に処す
「苦肉の計」を用いて黄将軍が曹操軍に偽りの投降を申し出るという偽情報を曹操軍に流させるなど大いに利用しました。また、火計を
効果的にするために、当時在野にいた?統殿を使い、曹操に対して船上ですぐに酔ってしまう兵士達の為にと船同士を鎖でつなげ、揺れを
少なくさせる「連環の計」を進言し実行したのです(本当の目的は火計を用いた時、逃げる事が出来ないうえ、船が燃え広がりやすく
する為です)。

ただ、この計は当時曹操軍にいた徐庶殿に看破されていたのですが、劉備殿に対しての恩義があるためにわざと見逃し、更には?統殿の
助言によって涼州の馬騰殿の反乱に備えての防衛を口実として隊を離れたのでした。

しかし、曹操軍を撃破するための計略である火計には一つ問題がありました。それは、当時の季節10月には東南の風が吹かないと言う
事だったのです。この方向に風が吹かないと、火計を用いた場合、自分達の水軍にも被害が下る恐れがあったからです。そこで諸葛亮殿は
東南の風を吹かせると言い、「七星檀」という祭壇を作り祈祷すると、どこからか東南の風が吹きはじめたのです。(民間伝承には、
諸葛亮殿はこの時期に東南の風が吹く日があるのを初めから知っていたと言う話や、ドジョウを使って東南の風を吹く日を知った等の話が
あります)。機は熟したとばかりに黄将軍が油を沢山浸み込ませた藁を積んだ船に火を点けさせ、火計を実行。「連環の計」で互いの切り
離しが間に合わない曹操軍の船は次々と炎上します。更に東南の風で地上に配していた陣にも火が燃え広がり、曹操軍は散々に打ち破られ
たのでした。なおその戦の後、周都督が自分を殺そうとしている事を察知した諸葛亮殿は、東南の風が吹いた直後にその風を利用して
劉備の下へ逃げ去ったのでした。

一方、劉備軍は諸葛亮の指示の下、曹操の退却先の所々に伏兵を置き、舞い込んできた曹操と残った軍に追い討ちをかけました。しかし
諸葛亮殿は「今曹操は天命がつきておらず、殺す事は不可能であろう」と判断し、曹操殿に恩がある関羽殿をわざと伏兵に置き、敢えて
関羽殿が曹操殿に対し恩を返す機会として与え、関羽殿が曹操殿を逃がすのを黙認したのでした。

その後曹操殿は江陵まで撤退し、更に荊州北部を従兄弟の曹仁殿に託して許都に戻ったのでした。

こうして曹操殿は荊州の大半を手放さざるを得ず、以後荊州は劉備殿と大帝陛下の係争地となったのです。

(次へ続く)

110 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/04(日) 00:08:18 0
これが「三国志演義」における赤壁の戦いです。

逆に「正史」では曹操軍が率いる兵数は「演義」とは異なり、「100万」と誇張した場面は出れど、大体14、5万ぐらいだったと
言われています。三国時代の中原の人口は大体800〜1500万ぐらいであり、とても兵を50万や100万で率いる事は出来ない
数であり、「演義」は悪者である曹操殿を大いに、かつ劇的に打ち破った事にしたかったが故に斯様な大兵数として戦いに出した
そうです。

また、実際には「演義」同様に長坂坡で追い付かれるも、何とか難を逃れて夏口まで逃れ、劉gと合流し、孫権の命で荊州の動向を
探りに来た魯粛と落ち合います。曹操は劉備の新野駆逐に伴いそのまま南下し、兵を長江沿いに布陣したのです。帰営した魯粛の報告に
よって、その兵「百万」と聞き大帝陛下は驚愕しますが、周都督が、その実は十四、五万しかおらず、しかもその殆どの兵は華北の
討伐によって疲弊しきっているので勝機はこちらにある、と大帝陛下に説き、開戦に踏み切らせたのでした。

そして劉備軍・孫権軍は同盟として結び、赤壁で対峙、黄将軍が偽りの降伏をして曹操軍に油断をさせ、また黄将軍が提案した、船団が
密集した所で火攻めを仕掛ける戦略によって見事、連合軍に勝利を齎し、曹操殿の天下統一を頓挫させた、とほぼ「演義」と同様の内容が
あります。

しかし、実際はその後、斯様に大々的な壊滅を蒙れば、軍事・政権としてもなかなか立ち直れぬくらい、計り知れない打撃を受け、
数年は軍事行動が起こせないはずなのに、曹操殿はその後、涼州の平定や揚州の防衛に廻り、華北の覇者としての力を失ってはいない
どころか、銅雀台を建設して経済的にまだまだ余裕がある事を示したそうです。それを考えますと、この赤壁の戦いというのは大して
痛手ではなかったとも取れます。

因みに実際被害を蒙ったのは荊州軍のみであり、曹操軍では誰一人主要武将を失っておらず、また曹操軍が自ら船団に火を放って
敵襲と偽って撤退した、とも言われています。

しかし中華統一が頓挫したという事のは事実であり、史実でも、「演義」でも曹操殿は「郭嘉がいれば、わしを斯様な目に合わさな
かったであろう。」と呟いたそうです。

以上で史実の「赤壁の戦い」の説明を終了いたします。

111 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/04(日) 00:09:39 0
>それと張丞相は3では排出停止との噂が囁かれておりますがどうお思いですかな?

……私が「三国志大戦3」に出れぬのかも知れぬ、と……。まあ、それは既に覚悟していましたよ。出ようが出まいが、天命には
逆らえませぬゆえ、諦めております。

>>107
ありがとうございます。そう申されますと、此方としても頑張らざるを得ませんね。

「ハリー・ポッター」ですか。聞けばそれは英国の物語かつ同物語の主人公であり、世界各地で電影画像として放映され、しかも
次々と次回作まで生まれるほど非常に好評であるそうですね。

此方としては斯様な人物に似ているというのは身に余る光栄です。まあ、あと出られるのは一月位ですが、貴方の御期待に沿うよう、
この張巨先、戦場で最後の最後まで奮闘し、散る所存です。

112 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/04(日) 01:27:34 0
さて、どうやら宵の口のようですね。ではこれにて私は失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以て返答を致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、もし「三国志大戦3」に私が出る事が無くても、皆様に「ああ、かつてこういう男がいたのだな」、と覚えていただけた
ならば光栄に思っております。

改めてあと一月位ですが、最後まで戦場で皆様と共に駆け抜ける事を望んでいる所存ですので、どうか宜しく御願い致します。

では、さらばです。

113 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 01:33:55 0
丞相、なりきり板での「三国志大戦」の砦では群雄伝を作成するのが流行って
いるそうですよ。

孫呉の要でもあるこの砦でも、一度試してみてはいかがでしょうか?

114 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 02:14:56 0
面白くない奴はとことん無視される。美少女がいればそこに靡き、助平心を露わにする。
これがなりきり板の奴らの実態だ。

丞相、そんな連中の相手をまだ続けるのか? いい加減やめた方がいいぜ、無駄な努力だからよ。

115 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 02:26:59 O
そうだな、何だか無理難題を押しつけて丞相を困らせ
たいだけだからな。

やるだけ苦労するだけかもな。

116 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 02:30:35 0
>>114
まあな。何処かのスレのように賑わい見せているのがいい証拠だ。

117 :劉禅:2007/11/04(日) 02:47:52 O
ここは平和でいい所ですね

118 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 03:57:48 O
ふむ、正史では劉備軍は目立った活躍していないということですかな?
手柄を取られたようで周大都督もさぞや無念だったでしょうね

119 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 10:06:02 0
好きな料理は?

120 :名無しになりきれ:2007/11/04(日) 20:59:37 O
ケッケッケ
>>114-116、こやつらは離間の策を企む他国の間者に違いありますまい
決して信じてはなりませぬぞ丞相殿ぉ

121 :名無しになりきれ:2007/11/05(月) 02:11:16 O
面白いのでageます。

122 :名無しになりきれ:2007/11/05(月) 22:31:54 O
蒼天航路おもしろいよね

123 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/07(水) 00:46:28 0
……来ました。ここ数日、多忙でこの地に来る事はありませんでしたが、漸く来る事が出来ました。
あと、今日は午前中はしとしとと雨が降っておりましたが、午後は晴れ間が見え、少々暖かな日差しが差し込んでまいりましたね。
ですが確実に少々冷え込みが増してきましたゆえ、皆様、くれぐれも風邪を引かぬよう、お気を付け下さい。

では来ている様なので、返させていただきます。

>113
そうですか。実は見てみたのですが、内容が濃厚で面白く存じました。こちらも近々、言葉の綴れ織りとして作ると
致しましょう。

>114
いいえ、こちらにいる皆様は、貴方が思うほど斯様に卑しい心を持っている方々ではございません。
多くの人々は我々が生きていた時代がどういったものなのかを知りたいと思い、此処に訪れる人々なのですよ。

なので表向きのみを見て斯様な事を申すのは如何かと存じます。

>115
いいえ、私はいつの時代の者でも、我々が生きてきた国、起こった出来事を後世の者に伝えるのを生き甲斐としているのです。
なので別に苦労などしておりませぬよ。

>116
何処かの地……、この砦を繁栄させる秘訣となる切っ掛けがあるかも知れませんゆえ、それは是非知りたく存じますね。

124 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/07(水) 00:49:10 0
>117
これはこれは、蜀の皇帝である劉禅殿ではありませぬか。来ていただき、光栄で御座います。

粗茶ですが、こちらをどうぞ。つつ旦(←―龍井茶)

……平和ですか。そうですね、今のところ目立ったところは見えませぬゆえ、此処は安定しておりますが、何れは
乱世になる可能性はあります。なので油断もまた出来ませんね。

>118
まあ、そうですね……。「三国志演義」は著者の羅貫中殿が、蜀が漢王朝の正統なる後継として見なしていますからね。
だから斯様に諸葛丞相が周都督を始め、呉軍を手玉に取るかのように、神がかりな策略で曹操軍を打ち破るといった内容に
仕立て上げているのですよ。

まあ、周都督は本来、温厚で慎ましやかな性格ゆえ、斯様な物語を御拝読なさっても笑って済まされると思いますが。

>119
そうですね……、孫呉は主に江東が政治・経済、産業の主要でありますゆえ、魚介類や米が食の主流となっております。
なので私は魚料理が一番好みですね。

>120
他国の間者、ですか。まあ確かに、斯様な振る舞いを見せるというのは只者ではないという事は一目で分かりましたよ。
この張巨先、亡国の丞相であれど人を見る目ぐらいはありますゆえ、御安心を。

>>121
ありがとうございます。ですがこの長い文章は反面飽きられる事も多いですからね、これからもどう賑やかにするのか
試行錯誤でございます。

>>122
「蒼天航路」……、聞けばそれは倭国で絶大なる人気を博した三国志の物語のようですね。まあ、私も一度は目にした
事はありますが、結構、何と言いましょうか……。かなり派手なる画でありますゆえ、申し訳ございませぬが、見る事は
少なく存じます。

125 :名無しになりきれ:2007/11/07(水) 23:44:45 O
おい、そこのお兄さん!
ここに、どんな盾も突き抜く矛と、どんな矛も防ぐ盾があるんだけど、お兄さん買わないか?
安くしておくよ。


126 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/08(木) 20:37:03 0
……来ました。前回はそのまま眠気に襲われ、何も告げずに去ってしまい、折角来て下さった皆様に対しての無礼なる振る舞いを
犯してしまい、大変申し訳無く思います。

今後斯様な行為を二度と起こさぬよう己に警告する所存ですので、どうか御許し願いたく存じます。

では新たに来て下さった方々の為にも、返答致しましょう。

>125
なるほど、「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」、ですか。ではその「どんな盾も突き抜く矛」で
「どんな矛も防ぐ盾」を突いたならば、どうなるかを拝見したく存じますが、如何でしょう?

納得が出来る結果になれば購入いたしますよ。

(商人 「エッ……、そ、それは……。」)

この様に2つの物事に肯定と否定が重なり、辻褄が合わぬ事を「矛盾」と言うのです。もしこの盾と矛を売るのであれば、
どちらか一方を譲る様な感じで口説いて売るべきでしたね。

例えば矛ならば「この今もっている盾以外、どんな盾でも突き抜ける矛」と、盾ならば「この矛以外、どんな矛でも防ぐ盾」と。
然すれば皆は納得し、購入してくれるはずですよ。

127 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 20:46:25 O
つショートケーキ
つチョコケーキ
つチーズケーキ
つモンブラン

この中から好きなケーキをお取りください


128 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/08(木) 21:40:20 0
>126
これは西洋のお菓子ですか、ありがとうございます。
そうですね、この中ですとその乳酥を使った「チーズケーキ」とやらが
美味しそうなので頂きますよ。

あと、これは気の所為かと存じますが、「この中から好きな」であって、
「この中から好きなのを一つ」では無いのですね?

いや、別に欲張りではなく、何かあるのではないか、と思っただけなので悪しからず……。

129 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/08(木) 21:42:39 0
ああ、間違えましたね。>126ではなく、>127でした。
この場を借りてお詫び申し上げます。失礼致しました。

130 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 21:58:03 O
今から山籠りして来ます


131 :かくわい:2007/11/08(木) 22:03:08 O
やれやれ・・・貴様の火刑など私には通用せぬ。

む!味方に連計がひとりも居らぬとな!

132 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 22:05:08 0
>>131
あ、性格の悪い杜預だ。

133 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 22:15:13 O
三國志の人形劇見たことある?


134 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/08(木) 22:40:55 0
>130
山籠りですか。十中八九危険を伴いますが、己の身体及び精神力を鍛えるのに一番の
手段ですね。ですが、山で生活するのに食糧や水を確保せねばなりませんよ。

あと猛獣と闘い、不利になった際の逃走経路も確認した方が良いでしょう。

>131
郭淮殿……、確かに貴方からしてみれば私の火計は余り通用しないでしょう。
ですが通用しなくとも、後の方に攻勢を託し、貴方を引かせる程の打撃を与える事は
出来ます。

では、

         ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!             
   ヽl   ,、 l/
  〃")' ~´ヘヘ)"ヽ            ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
  !( ソノ八)ヽ) ソ           ;;;''''
    ヾl.・∀・ノ!    )) 卩__ ,.';;''
o=====U===∩====[]コ[i(●==冫                                郭淮殿→))゜3゜)
    ./ソ、j、iヾ.   ))  |ノ ̄ ̄ ヽ;,,
    .~(ノ!_j~´             ''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

  __/\_
 /さらばです\


>132
なるほど、そうでしたか。そういえば名前が平仮名というのが特徴的ですね。

>133
それは島田紳助殿と松本竜介殿が司会を務めたり人形劇で「紳々」「竜々」という名で出演していた劇ですね?
(中の人の談)申し訳ございませんが、幼少の頃に見た事があれど、殆ど覚えておりませんゆえ、詳しく語る事は出来ません。

135 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 23:01:40 O
無双はやらないの?

136 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/08(木) 23:08:36 0
>135
そうですね……、申し訳ございませんが機材(プレイステーション)は一切持っておらず、専ら「三国志大戦」に偏った状態ですね。
もしあれば一度やってみたいと思います。

まあ、当然ながら私は出ていないようですが……。

137 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 23:16:48 O
呉に軍師っていたの?

138 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 23:28:58 O
ゆとり教育について語ってください

139 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/08(木) 23:39:49 0
今日は何だか質問が良く来てますね。しかも文面から見て、同一の人物と
思わせるほど……。

>137
そうですね……、孫呉で軍師といえば陸昭侯がそうですね。
何度も申しておりますが、孫呉を長く外敵から防ぎ、孫呉を支えた功労者ですから。

そして陸昭侯の御子息である陸抗様もまた、孫呉の要点である西陵を攻める晋からの侵攻を防ぐ等をし、死すまで祖国を
守り通してきた名将、名軍師ですよ。

140 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 23:41:48 0
張丞相、無理して答えなくても良いのですよ。
恐らくこれは張丞相を陥れるための策ですから。

矢継ぎ早に質問してくる彼は恐らく、他スレの刺客でしょう。

141 :名無しになりきれ:2007/11/08(木) 23:44:20 0
この質問攻めこそ丞相が詰め込みになりかねんぞ
史実では陸抗がそれで病没したそうだからな

142 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/09(金) 00:30:34 0
>138
ゆとり教育……。原義と致しましては確か勉強一辺倒の詰め込みになり、焦燥感を与え、精神に異常を来たさぬよう、
学習者の多様な能力を伸長させるという、倭国の教育理念ですね。

まず日本教職員組合が1972年に学校を週5日制度にしたのを皮切りに、学習内容及び授業時数の削減、第2、第4土曜日を
休業日(1992年にまず第2土曜日のみを、1995年に第4土曜日も休業にした。後に1999年には完全週5日制度に
なる)にしたり、国際化、情報化の世界を初めとする社会の変化を踏まえ、子供が自ら率先して考え、学ぶ為の力をつける
「総合学習時間」、他の生徒の成績を考慮に入れず、生徒本人の成績を評価するという「絶対評価」を取り入れるなど、
教育の改善策を図ったと聞きます。これによって教科では理科が「理科の勉強が好き」或いは「どちらかというと好き」という
学生の増加が徐々に目立っているそうですが、総合的には逆に学力低下に拍車がかかり、特に数学に対しては「必要が無いの
ではないか」という考えが生じているのもまた事実であるそうです。

また週5日制度にしたのは、子供に学習塾に通わせる、また社会の世界を実感させて学力を向上させる、教師の質をも上げるのが
主なる目的であるようですが、大抵の子供は漫画や電影遊戯に没頭するが故に、米国、韓国等の諸国と比べ、却って勉強時間の
減少が進み、学力が低下する状況に陥っているそうです。

その為、2007年10月30日の中央教育議会答申ではゆとり教育による学力低下を文部科学省は認めて反省し、授業日数の増加、
理数系の授業及び英語の授業日数を増加を提言したという事です。

まあ、何故ここまでゆとり教育を施したのかといえば、過去の詰め込み授業や管理教育、受験戦争によって学力の格差が生じ、また
それによる校内暴力や苛め、落ちこぼれ、勉強に追われる学生の出現によってゆとりの時間が無いというのが原因ゆえ、その過去の
時にある程度弛緩を施していたならば、今日のゆとり教育問題は深刻なものにならなかったと思いますね。

>140
いやいや、彼は純粋に様々な事を学ぶべく、こうして私を頼りに参上
したのです。

ここで期待を裏切れば、不忠の者と見なされ、この砦は廃れるでしょう。

>141
確かに、陸抗様は晋がいつ侵攻してくるのかに対して日々頭を悩まされ、また祖国・孫呉の
防衛に対してもかなり懸念され、ゆとりを見出す事が出来ない状態にありましたからね。

今考えると陸抗様にとってのゆとりというのは、死後の事だったのかも知れませんね。

む、私が詰め込みになりかねない、と? いやいや、陸抗様と比べれば私の応対は
まだまだゆとりはありますゆえ、ご安心を。

143 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/09(金) 00:38:45 0
少し>142の訂正を行います。


まあ、何故ここまでゆとり教育を施したのかといえば、過去の詰め込み授業や管理教育、受験戦争によって学力の格差が生じ、また
それによる校内暴力や苛め、落ちこぼれ、勉強に追われる学生の出現によってゆとりの時間が無いというのが原因ゆえ、その過去の
時にある程度弛緩を施していたならば、今日のゆとり教育問題は深刻なものにならなかったと思いますね。




まあ、何故ここまでゆとり教育を施したのかといえば、過去の激しい詰め込み授業や管理教育、受験戦争によって学力の格差が生じ、
それによって生じた校内暴力や苛め、落ちこぼれ、勉強に追われる学生の出現によって「学生にゆとりの時間が無い」という事が
判明したが故に、その過去の災禍を払拭すべく施されたそうです。しかし、もしその「過去」にある程度弛緩を施していたならば、
今日のゆとり教育問題は深刻なものにならなかったと思いますね。

144 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/09(金) 00:49:53 0
さて、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの
質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか
宜しく御願い致します。

最後に、秋もいよいよ終わりに差し掛かっておりますゆえ、皆様どうか身体を損なわ
せぬよう、大事にお過ごし下さい。

では、さらばです。

145 :名無しになりきれ:2007/11/09(金) 01:02:09 O
三國志の中で天才と言えば誰ですか?

146 :じゅんいく:2007/11/09(金) 07:13:52 O
ふふふ・・・見てますよ。いつでも貴方を見てますよ・・・私の視線は貴方に釘付けです(士気1

147 :名無しになりきれ:2007/11/09(金) 15:51:20 0
張悌頑張れ

148 :名無しになりきれ:2007/11/09(金) 20:23:37 O
ステップアップガイド2に書き下ろしの丞相が載っていましたよ

149 :名無しになりきれ:2007/11/10(土) 21:14:34 O
戦とは頭脳で勝負するものだ!!


150 :名無しになりきれ:2007/11/11(日) 21:10:14 O
張悌殿…

151 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/11(日) 22:36:16 0
……来ました。今日は曇り気味ながら時折太陽が顔を見せ、比較的穏やかな天気でありましたね。この分ですとまだまだ温暖な天候は
続きそうだと思いましたよ。
ですが、油断を致しますと体調を崩しかねないのでそこの所は気を付けた方が良いでしょう。

では此処に来て下さった人々の為にも、返させて頂きます。

>145
天才、ですか。そうですね……、矢張り蜀の孔明殿だと思います。蜀は我が孫呉、魏と比べますと領土と国力が劣っていますが、
峻厳な地形を利用した城砦を築き、外敵からの侵攻を防いだり、また戦のときもそのちけいを生かしたどころか、相手の心理を
読み、それを逆手にとって攻めては敵を討ち、守っては敵から退かせましたからね。まあ、馬謖殿や李厳殿の失態があった故に
完全なる勝利を逃しましたが、完全なる敗北もまた彼には無かったそうですからね。

一方、魏の司馬懿殿も孔明殿同様、軍略に長けておりますが、司馬懿殿は軍略が専門だったようであり、内政面で功を挙げた
記録が無い事を鑑み、また内政面でも切り盛りをして蜀の経済を充実させた事がある孔明殿に北伐でよく翻弄された事を考えますと、
孔明殿が上という事になりますね。

>146
荀ケ殿、確かに貴方の反計は手強い。下手をすれば此方が火の海に巻き込まれかねませんからね。それに、例え火計を与えたと
しても智略に長けているゆえ、回避策が冴えて大した打撃を与える事は出来ないでしょう。

ですが武力と致しましては「五十歩百歩」と言われるかもしれませぬが、覚醒すれば貴方の部隊を射撃で引かせる事は出来ます。
なので此方は火計は使いません。正々堂々と戦いましょう。

152 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/11(日) 22:39:26 0
>147
ありがとうございます。貴方の応援を決して無駄にせぬよう、この張巨先、最後まで戦いますよ。

>148
ええ、月明かりの下、二胡で調べを奏でているところでしょう? 私の趣味は一人で音楽を奏でる事でしてね、例え色々と悩みが
あっても二胡を弾く事により、心に落ち着きを取り戻す事が出来ますからね。

そう言えば音楽で思い出しましたが、向こうの砦では陳泰殿がシタールやピーパーを用いて様々な曲を奏で、来訪者の方々を
楽しませているそうですね。

なのでこちらもその二胡で皆様の為に奏でると致しましょう。

>149
ええ、確かにその通りです。戦うには「力」は必要ですが、力だけで戦略無しでは相手に翻弄され、とても勝てません。かと言って
軍略、つまり「頭脳」を使って戦えど力が無ければ、押し切れず戦に勝てないのもまた事実。

「力」と「頭脳」が巧みに組み合わさってこそ、勝利に結びつける事が出来るのです。

>150
おや、いかがなさいましたか? 斯様に暗い声で私の名を呼びかけるとは、何かあった
みたいですね。

どの様な事があったのか、私に教えて頂けませんか?

153 :名無しになりきれ:2007/11/11(日) 23:31:19 O
好きな花は何?

154 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/12(月) 00:13:56 0
>153
好きな花ですか。そうですね……、目立たないくらい小さくて純白な花を咲かせる鈴蘭(すずらん)や同じく黄色い花を咲かせ、
健気に生きる金鳳花(きんぽうげ)が好きですね。

155 :名無しになりきれ:2007/11/12(月) 16:48:30 O
お笑いは好き?

156 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/12(月) 22:12:07 0
>>155
お笑い……、それは喜劇等を拝見するのが好きであるかという事ですね?
そうですね、日頃忙しくて斯様なものを見る事は少ないのですが、私と致しましては好きですね。

それに、喜劇のみならず楽しい事を見たり学んだりする事は人生において活路を見出し、また長く
人生の道というものを切り開く事が出来ますからね。

157 :名無しになりきれ:2007/11/12(月) 22:37:45 O
つ【核爆弾】
次の戦には、これをお使いください。

158 :名無しになりきれ:2007/11/12(月) 23:07:23 0
>>157
お前、陳泰のスレ見ろ。

159 :名無しになりきれ:2007/11/12(月) 23:09:10 0
>>157
幾らここが発言の自由とはいえ、「核爆弾を使え」というのは
人道を外している。恥を知った方がいいよ。

160 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/12(月) 23:23:08 0
>157
私の為に斯様な心遣いをしていただき、誠に嬉しく存じますが、かの武器は他の武器とは違い、人や建物をいとも容易く
破壊するのはおろか、「死の灰」というものを撒き散らし、戦とは全く何の関係の無い者まで不治の病に陥らせ、死に
至らしめるそうですね。

それに、風の噂によりますと他の砦では陳泰殿がその恐ろしき武器の廃絶を願う歌を来訪者の方々に披露したと聞きます。

何の罪も無い者の命を奪い、更なる恨みや悲しみを生み出すのは私の望みではありませぬゆえ、誠に申し訳ございませぬが
その武器を受け取るのはお断り致します。

>158
斯様に申して頂けるのはありがたく存じますが、反感を招きかねませぬゆえ、もう少し柔軟に発言した方が良いでしょう。

>159
言葉というのは使う事によって人を喜ばせたり、悲しませたり、また楽しませるものです。確かに此処で皆様が語り合うのは
自由ではありますが、貴方の申すとおり、匿名であるのを良い事に此処に来て人を傷つけたり、貶める様な発言をするというのは
人の良き心の部分を欠けさせるゆえ、其処の所を理解し、気を付けた方が良いかもしれませんね。

161 :名無しになりきれ:2007/11/12(月) 23:33:40 O
核は不評だったみたいですね…では、こちらをお受け取りください
つ【猛毒】
これを戦で使えば戦わずとして勝てましょう


162 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/12(月) 23:50:00 0
>161
なるほど、毒ですか。まあ私は正々堂々と戦う事を身上としておりますが、今の晋に抗い、退かせるにはそれは叶いませぬゆえ、
致し方ありませんね……。分かりました。ではこの毒は弓矢に仕込み、いざという時の為に取っておく事に致しましょう。

163 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 00:00:47 O
おやすみなさい

164 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 00:01:39 O
「子供の頃、貴方の家の丞相の抜擢を受けた。今こそ身を以て国家に殉ずる時だ」
と、諸葛靜に言って貴方は戦死したそうですね。
その丞相とは孔明先生らしいです。つまり、諸葛亮の御墨付きですか。

165 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 00:02:33 O
三国志に悲恋ってないですか?

166 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/13(火) 00:26:41 O
私も混ぜて貰いたい気もするが……。
蛇足であろうな。

167 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/13(火) 00:50:30 0
>163
ええ、お休みなさい。今日から冷え込みが来たしていますので、風邪にはお気を付け下さい。

>164
確かに。私は幼少の頃、孔明殿から私の才を認められました(一説によりますとその兄君である諸葛瑾様から推挙され、校尉に
なったという説があり、「三国志大戦」ではそちらの説を取り上げております)。あの最後の戦いで、孔明殿の敵であり、
蜀の敵でもある魏を受け継いだ晋に降伏するという事は孔明殿の知遇を、そして期待を裏切る事になり、黄泉の国にいる孔明殿に
顔向けが出来ませぬ故、敢えて死を決めたのです。

>165
悲恋の話、ですか。そうですね……、我々の時代では西洋で多大な人気を持つ「ロミオとジュリエット」の様な悲恋の話は
ありませんが、横山光輝氏の「三国志」では呂布殿と貂蝉殿の話があり、貂蝉殿は呂布殿と董卓殿の仲を裂いた後、自分の
やるべき事を果たしたと言い残して自決し、呂布殿を多いに嘆かせたそうです。

悲恋かどうかは分かりませぬが、非常にこの経緯の話は有名ゆえ、取り上げました。

まあ、「三国志演義」ではその後貂蝉殿は呂布殿と董卓殿の仲を離間の計で裂いた後、呂布殿が曹操殿に討たれるまで付き従い、
貂蝉殿もまた曹操殿によって殺められた、と書かれているそうです。

>166
何と、これは陸抗様。ようこそ御出で下さいました。

……蛇足であると? いいえ、その様な事はありませぬ。父・陸昭侯の後を継ぎ、立派に孫呉を支え続けた貴方です。
私と致しましても一人より多くでこの砦を守る方がより砦が永らえますゆえ、是非御願い致します。

168 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 01:03:16 O
この砦の士気高揚の為に、日替わりで呉将について語るというのはいかがですかな?

169 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/13(火) 01:09:14 O
>>167
私は父上に恥じない子であったであろうか。
父上は劉玄徳を破り、丞相として孫呉を支えた。
しかし、晩年は太祖に疎んじられ、憤死した。
それでも、父上は孫呉への忠誠に曇りはなかった……。
私も父のようにありたいものだ……。

そういえば、私は張悌が丞相になる前に死んでいるな。
私が死んでから、晋の攻撃はいよいよ苛烈になったと聞いていたが……。
猫の手も借りたい、というところなのか……?
ともかく、不才ではあるが、私も力を尽くそうと思う。
どうか、宜しく頼む。

170 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/13(火) 01:53:06 0
>168
ええ、良いでしょう。ですが此方と致しましても各将軍についての事実の聴き取りをせねばなりませんゆえ、多少時間が
掛かりますが、それでも宜しいのでしょうか?

>169
いえ、貴方は父・陸昭侯の威風を立派に受け継ぎ、心から愛した祖国を守り抜きました。斯様な功績がある貴方をどうして批判
するのでしょうか?

確かに、陸抗様が世を去られると、晋ではこの孫呉を討滅する気配が色めき立ち、その後に起こった交州の大きな反乱に乗じ、
杜預殿を総大将とした晋軍が長江に沿って六方面から一気に攻め立てて参りました。その結果、長江に防衛線を張った我が軍は
悉く打ち破られ、遂に都である建業が陥落。私と沈瑩殿、そして貴方の御子息である陸景殿はその戦で戦場の露となって消え
ました。

ゆえに、今回の原因と致しましては、私の不徳によって孫呉を支えきれず、滅んでしまったという事であり、誠申し訳無く
存じます。

今私が斯様にこうして砦を築き、皆からの応答に励んでいるのは、孫呉の為に戦った人々の為に対しての、せめてもの償いと
して、孫呉の偉大さ、素晴らしさを後世の方々に伝える為でございます。

……斯様に長く語り、申し訳ございません。

最後に、正直申しますと、陸抗様が此処に参られ、私と共に再びこの砦を守られるという事は願っても無い事です。
改めまして、此方こそ不束者ではありますが、どうか宜しく御願い致します。

171 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/13(火) 02:06:01 0
さて、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以て返答致します故、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、今日からいよいよ本格的な冷え込みが始まったそうですので、皆様どうか身体はよく暖めてからお休み下さい。

では、さらばです。

172 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/13(火) 02:19:33 O
>>168
妙案だな……確かにそれは面白そうだ。
孫呉には多くの有能な将軍が居ましたから……。
しかし、調べる時間は掛かりそうか?
それでも、楽しんで頂ければそれで満足なのだがな。

>>169
あのような状況下においては……孫呉の勝利は困難であっただろう。
蜀の降伏の時点で、勢力の力関係は大きく乱れてしまった。
呉蜀が協力しなければ、魏に勝つのは難しいであろう。
それだけに、魏も各個撃破すればいいと考えるのも当然だ……。

私も自分の眼の黒いうちは、降伏の憂き目を見なかった。
だが、張悌らには孫呉の終焉を押し付けた形となってしまった。
それに私も、私なりに後に残すべきものが、余りなかった。
本当に申し訳なかった……。

このような機会を貰ったのだ、私も粉骨砕身努力させて貰う。
精一杯、協力するつもりだ……丞相殿。

すまないが、今夜はこの辺りで休まさせて頂く。
それでは失礼する。

173 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 17:46:10 O
嫌いな動物いる?

174 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 18:04:03 0
張丞相と陸大司馬が仲睦まじくするスレかと一瞬思ってしまったw

張丞相はレスが丁寧でいいと思いますが、適度に改行していただけると読みやすいです。

175 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 18:20:16 0
可愛い

176 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 19:23:07 0
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/charaneta2/1193469949/

177 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/13(火) 20:23:28 O
こんばんは、今日は早く来られたようだ。
本当に私などが来てもよいのか、分からんが……。

>>173
嫌いな動物、か……?
余り考えたことはなかったが……狼、であろうか。
野犬も苦手だが、狼はそれ以上に恐ろしい。
嫌い、というよりも怖い動物になったかもしれんな。

>>174
張悌と私がか?
フフ、それはそれで難しい状況ではないかな……?
それに私は大司馬、しかし、張悌は丞相にまで昇っている。
並べられるのも、畏れ多い……のだが、呼び捨てにしてしまう。
認めたくはないが、歳の功というものかな?

>>175
可愛い、か。少なくとも、私などではないな。
可能性があるならば、女性の方であるが、そのような形跡はなく。
誰を以て、可愛いと言ったのか?
――張悌か?

>>176
間違えたのか?
もし、そうだとしても気にすることはないぞ。
人は誰しも間違いをするものだ。私などもそうだ。
いや、間違いでないのなら、意図を聞きたいのでな。
もしや、私の想像も付かないような深謀遠慮かもしれぬからな。

少し疲れているので、仮眠を取らさせてもらう。
砦で仮眠などしてすまない、じきに戻ってくる。
すまないな。

178 :176:2007/11/13(火) 20:36:08 0
>>177
いや、陸抗殿。張悌殿と同じくらい長く文章を書く者がここにいると
いう事を報せたいだけでして……。

失礼致しました。

179 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 20:55:12 O
孫呉に足りなかった物を一言でいうと?

180 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/13(火) 22:02:11 O
>>178
なるほど、そうであったのか。よく分かった。
しかし、それ程まで張悌は慕われているということか……。
張悌が居らずとも、共通点を見ただけで、張悌を思うということは、そうそうはないことだ。
フフ……少し羨ましくともあるぞ、そこまで思われているとは。
砦を築いてから、今までの張悌の努力の賜物だな。
私もかくありたいものだ。

>>179
孫呉に足りなかったもの、か。一言では難しいかもしれんが……。
戦意、或いは覇気であろうか。
蜀漢は戦う意欲盛んにて、魏とよく戦っていた。
しかし、孫呉は基本は専守防衛であった。無闇に戦うのがいい訳でもないが……。
上手く生き残ろうとし過ぎたのかもしれんな……。
ともかく、蜀漢が潰えた時点で勝敗は決してしまった。
この蜀漢依存、二国して掛からなければ、負けてしまうという点。
粗探しは嫌いだな……。

181 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/13(火) 22:11:27 0
……来ました。今日はまだ曇り気味でありましたが、晴れ間が多く出ていて良い天気でありましたね。ですが今日は
倭国ではかつて一世風靡した棒球の選手(元西鉄ライオンズの稲尾和久投手)がお亡くなりになったという訃報もあり、
淋しくも思いました。この場を借りてその選手の御冥福をお祈りいたします……。

では来ている様なので返答させていただきます。

>173
嫌いな動物ですか。嫌いとは言いませんが、「怖い」と言える動物は虎ですね。虎は獰猛であり、何の躊躇いも無く
人や他の動物に襲撃いたしますからね。

因みにかの大帝陛下も狩りの最中に虎に襲われ、あわやという所で逃れたという話があります。

>174
私と陸抗様が……? いやいや、陸抗様は自身の最期を迎えるまでこの孫呉という国を守り抜いた方です。
その孫呉を守り切れなかった私と同等にするというのは誠以て恐れ多く存じます。確かに私は丞相の身であり、
陸抗様は大司馬と、官職から見れば私の方が上であるのかも知れません。ですが、ここでは私は陸抗様とは
かつての縁(えにし)として陸抗様には尊敬の念を払い、付き合う事に致します。

なるほど、私の文章は適度に改行すればより読みやすくなる、と……。

助言をしていただき、ありがとうございます。以後はより読みやすく努力をして皆様を楽しませるよう致します
ので、今後ともこの砦をどうか宜しく御願い致します。

>175
か、可愛いとは一体……? 私はただ只管(ひたすら)に、皆様の御質問に答えているだけなのですが……。
申し訳ございませんが誰に対して、斯様な事を申したのか詳しく御教え頂けませんか?

182 :名無しになりきれ:2007/11/13(火) 22:59:12 O
平和な世にするには戦うしか方法はないのでしょうか?


183 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/14(水) 00:03:58 O
>>181
倭国ではそのようなことが……いや、驚いたな。
引退してからも、元気だったと聞く、まさに急逝であろうな……。

私に尊敬の念……か、私を余り買い被り過ぎない方がいい。
結局は孫呉は滅んでしまったのだよ。
死して国を守った英傑も居る、私は所詮一時期しか国を守れなかった。
そして、国が潰えるというのにその場に居合わせなかった……。

>>182
戦いとはあくまでも手段だ。
平和という状態にするためには、戦争という手段を使うか、話し合いという手段。
方策はいくらでもある。
勿論、戦えば国家が疲弊してしまう。負ければ尚更だ。
戦わずに勝つことに越したことはない、だが戦わなければならないときもあるぞ。

184 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/14(水) 00:16:59 0
>176、>178
む、それは一体何でしょうか? (と言い、記載されたサイトを覗いて見る)

……なるほど、ここにも斯様に長くお答え致す方が居られたのですか。

拝見いたしましたが、かの砦の主はまだ年端もいかぬ女性であり、一人でここまで繁栄させるとは見事なものです。

……かの武烈皇后陛下(=呉夫人)やその妹君である呉国太様、そして孫夫人様(=孫尚香)を代表する様に、孫呉の
女性はかなり気丈な性格であったと聞きますが、向こうの砦を見る限り、彼女もまたその孫呉の女性を思わせるかの
如き気丈さが御見受けいたしました。故に、もしも斯様な女性が我々の時代にいたならば、孫呉もまた引き締まって
いたでしょう、と思いましたね。

あと最後に、どうも向こうでは一言か二言、私の名が取り上げられておりますが、私は彼女ほど尊敬されるほどの者
ではありませんゆえ、誠恥じ入るばかりです。

>179
孫呉に足りなかったもの、ですか。そうですね……、やはり蜀と魏と比べ、積極的に天下をとり、国を一つに纏めようと
しなかったところ、または明確な後継者を確立しなかった等、何事にも明確にやるべき事を起こさなかった事でありま
しょうか?

赤壁の戦以降の孫呉は、魏からの侵攻を防ぎ、体勢を立て、張遼殿に大敗したものの、合肥の戦いでは大軍を擁して侵攻を
企てるなど、積極的に攻勢に出ておりました。

ですが次第に保守的かつ間接的な攻めになり、戦では蜀と共同して侵攻、外交策では遼東の公孫淵殿と手を結んで挟撃を
図ったりまた夷州・亶州(夷州は今の台湾、亶州は沖縄諸島または倭国の事とも言われています)と手を結んで兵の増強を
図ったのですが、何れも積極的に蜀に協力せず、また公孫淵殿の裏切りと亶州に辿り着けず、悉く失敗に終わっています。

また、皇太子である孫登様が亡くなられた辺りから、先に述べた「二宮の変」が起こり、これによって国内の豪族が
争う事になって国が混乱。自ら侵攻する力を削ぐ事になり、ついには守るべき力も失う事態に陥りました。

結論と致しましては、孫呉にその「明確に」事を起こし、実行に移す事が出来たならば、天下を統一する事が出来たの
ではないか、と私は思います。

185 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/14(水) 00:25:57 0
>177、>180、>183
陸抗様、今日も激務の最中に来て下さり、誠有難く存じます。

陸抗様の応答を拝見いたしましたが、文面が簡易でありながら内容が明確で、来訪者の方々に判り易く、
流石永く孫呉の民を慈しんできた御方であるという事が分かりました。それに比べますと私の方は長文で
ありながら意味が複雑であり、来訪する方々を悩ませているのではないか、と思いましたよ。

>私に尊敬の念……か、私を余り買い被り過ぎない方がいい。

む、私が貴方を買い被っている、と……。いえ、これが私の本心です。全く買い被ってはおりません。

例え私が良き時代に生まれ、手腕を振るったとしても、私の国を思う気持ちは、貴方の国を思う気持ちには
遠く及ばないと思っておりますから……。

……僭越ながら陸抗様、孫呉は亡国と化してしまいましたが、この砦を孫呉の生まれ変わりとして、これからも
この地に参上して頂き、共に守って頂く事を私は願っておりますゆえ、どうか宜しく御願い致します。

>182
いいえ、時間をかけて御互いに話し合い、かつどの様な事をするべきなのかを理解し合い、御互いが納得をすれば
和解して平和が成立という手もまた確実にあります。ですが、大抵現実では御互いの主張がぶつかり合い、互いの
関係に軋轢を生じさせ、「戦い」に走るという方向に向かっているのです。

つまりは譲り合う心を互いに持ち、かつ一方が覚悟を決めて潔く手を引く事が出来る気持ちがあれば、争いは
生じないと思いますよ。

186 :名無しになりきれ:2007/11/14(水) 00:31:12 O
占い好き?

187 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/14(水) 00:39:33 0
>186
占いですか。好きか嫌いかは分かりませぬが、劉備殿が夷陵での戦いに敗れ、心痛の余り病に倒れて没する
という占いを行った李意殿の様に、時として国家の命運を左右する様な結果が出る事がありますゆえ、此方と
いたしましては占いというものは重要なものであると思いますね。

まあ、信じるか信じないかは人それぞれの自由でありますが。

188 :名無しになりきれ:2007/11/14(水) 00:54:29 0
ちょうてい?

189 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/14(水) 01:07:00 0
>188
む、その質問からすると、貴方はここを初めて来られた御方ですね?

ええ、その通りです。私の名は張悌(ちょうてい)、字は巨先(きょせん)と申します。
以後、宜しく御願い致します。

……さて、こうして長く皆様と言葉を交わして参りましたが、どうやら宵の口を迎えたようですね。
では私はこれにて失礼致しますが、貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を以て返答
致しますゆえ、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、これからの季節、風邪や流感が流行りますゆえ、皆様どうか自身の御身体を大事にして、切り抜けて下さい。

では、さらばです。

190 :名無しになりきれ:2007/11/14(水) 17:26:27 0
だいぶ読みやすくなりましたよ張丞相
陸大司馬が来てくれましたし、他の人も来るかもしれませんね
三国志大戦に関係があるかどうかは分かりませんが

191 :そんこう:2007/11/14(水) 18:54:18 O
酒〜!女〜はまだか〜!俺に意見する奴は首を差し出せ〜!

192 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/14(水) 23:21:06 O
>>185
私も、どうしてこの砦を守ることに、労を惜しみましょうか。いや、惜しまんよ。
不才ではあるが、私も力を尽くしてみるさ。
それに短文でも、長文でもどちらでもいいのではないか。
書いている者の誠意が伝わる、これが肝要であろう。
私は張悌の文章から、強く誠意を感じる、故に気にすることはない。
それに国を思う心、愛する心に何の違いがあろうか。
私も張悌も孫呉を強く愛している。その心に違いなどはないはずだ。
勿論、私の思いは強い。だが、張悌の思いも強い。優劣などは付けられぬよ。

>>186
好き……ではないな。
自身の運命が定められているとするならば、占いで先を知るのは嫌だな。
危険があれば、即座に対応できるかもしれない。
だが、それではつまらないではないか。それに全てを知り尽くすのは、神のみだ。占い師ではない。
それに、運命が定まっていないとするならば、占いなど不要だ。
己が運命は、己が開拓するのだからな。

193 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/14(水) 23:29:14 O
>>191
畏れながら、申し上げます。
そのように放蕩に耽れば、それに身体が馴れてしまいます。
皇帝とし、孫呉の規範となる、ご自覚をお持ち下さいませ。
陛下の逐一の行動は、噂となり宮廷に広まっております。
それだけではなく、領内外でも噂となりましょう。
帝が堕落すれば、民も自然と堕落していくものなのです。
学を修め、善政を行い、武に励み、徳を高くして下さいませ。
臣はそれを切に願っております……。
もし、異論があり不服に思うならば、私をお斬りなさいませ。
主君が為に死することは、私の誇りに御座います。

それでは、私は戻ります。
魏との国境で、私の帰還を待つ兵が居ります故……。


来てみたが、陛下の様子は相変わらずか。
張悌も大変であろうな……。

194 :名無しになりきれ:2007/11/15(木) 01:33:13 O
陸抗殿、敵国の将軍が贈ってきた薬を飲むとはいささか無茶が過ぎますぞ

親兄弟すら信用ならぬ、この大乱世。もっと御自愛してくだされ

195 :名無しになりきれ:2007/11/15(木) 02:22:42 O
どうしてあんたらはいずれは沈むボロ船に乗り続けてるんだい?
隣にデカくて立派な船があるじゃないか

196 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/15(木) 22:30:21 O
>>194
すまないな、私のせいで要らぬ心配をかけてしまったようだ。
確かに世は乱れ、血を分かち合った者ですら、信頼は出来ないかもしれない。
しかし、羊叔子は決してそのようなことをする男ではない。
それは、互いが一番よく分かっていることだ。彼の贈り物を受け取らぬのは、私の恥であり、狭義だ。
とは言っても、叔子殿と友誼を結べども、敵は敵。
対峙するときあらば、私も容赦はしない、それが彼への礼儀でもある。
ただ、万に一つ、あちらに害心を抱く家臣あらば、叔子殿が知らぬ間に策略する可能性がないとも言い切れん。
君の戒めの言葉も、重く胸に留めておくよ。感謝している。

>>195
私はただひたすらに、船が沈むのを待っているのではない。
いざとなれば、船ごと改修してもいい、この船を必ずもたせる。
隣のきらびやかな船が、いかに我が船を沈めようとしても、私がそれを阻止する。
いや、多くの者が皆で力を合わせ、船を守るであろう。
私は世話になった船を見捨てる気持ちは、毛頭も御座いませんな。
乗り換えなど致しますれば、あの世で待つ父上になんと叱られましょうや。
父上は疎んじられても、国を思い続けた剛直の義士に御座います。
父上に劣るとは故、私もそのような父の子、船が沈むなら、共に沈みます。

197 :名無しになりきれ:2007/11/15(木) 23:13:30 O
女で身を滅ぼした武将はいる?

198 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/16(金) 00:40:20 0
……来ました。今日は2日間我が家で清掃を行い、来る事が儘成らなかったのですが、漸く来る事が出来、
嬉しく存じます。

因みに始める前、拝見致しましたが、陸抗様が入らし、奮闘なさっている模様。これは私も頑張らねばなりませんね。

では空いた分を取り戻すべく、返答させていただきます。

>陸抗様
私が不在の中、代わりとして来る方々の応対に尽くして下さり、誠感謝致します。
主としての責任であるにも関わらず、何も告げず長く空ける事は一つの大きな責任ゆえ、
ただただ申し訳無く思い、恥じるばかりです。

此処からは私も来る方々のために応対を尽くし、陸抗様の負担を少しでも軽く致しますゆえ、
御安心下さい。

何と、私の文章からも強き誠意を感じるとは、願っても無き御言葉。此方と致しましては
陸抗様から斯様にお褒めを頂けると自信が湧いてきますゆえ、是非最後まで戦う所存です。

>190
そうですか。ではこれからも貴方がたの御期待に沿う様、これからも頑張る所存です。

確かに、陸抗様が来られた事により、よりこの砦は繁栄を極める事はあるでしょう。
ですが反面、それに乗じて招かれざる来訪者が来て荒れる可能性があるのもまた事実。

それを防ぐ為にも奮闘を欠かせぬ所存でもありますね。

199 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/16(金) 00:41:05 0
>191
陛下、斯様に振舞うのはこの孫呉という国としての秩序が乱れかねませぬゆえ、御自重下さい。

日々生活を乱し、放蕩を行う事は民の心が陛下から離れるのみならず、陛下の御健康にも多大なる悪影響を
及ぼしかねません。今でも遅くはありませんので、陸抗様が申されますとおりに生活を慎ましやかに整え、
学を修め、政に目を向け、孫呉の保持に務める様、心掛けていただきたく存じます。

然すれば民は陛下を慕い、孫呉の団結力は強まり、如何なる敵も容易に攻める事は無いでしょう。

……ですがもし、私の助言が耳障りであるのならば、私も其れなりの覚悟を決めておりますゆえ、どうぞお斬り下さい。
陸抗様同様、どの様な事であっても、私も主君の為に死する事が最もな望みでありますから……。

>194
それは晋の将軍である羊([示古])将軍が、病に臥せられた陸抗様を案じ、贈って下さった薬の話ですね?

……確かに我々の時代は親や兄弟が互いに猜疑心を剥き出しにして、争い、殺め合う、非情を極めた時代では
あります。

ですが、羊将軍は陸抗様同様に俸禄を自らの配下に分け与え、余財を残さぬほど清廉潔白なる士であります。
また、敵国であれど孫呉から降伏する将が居ればその者を丁重に迎え、また戦で孫呉の将を斃せば丁重に遺体を
孫呉に送り返すという、礼儀を極めた人物でもありますゆえ、陸抗様は羊将軍の其の性を見極め、また礼儀を
返すべくその薬を受け取り、服用されたのです。

貴方の申すとおり、普通ならば策略であるという可能性もあり得ますが、この場合は互いに敵同士という境を
越えて礼儀を礼儀で返す仲を持つ同士であり、戦以外で敵を倒すのは無礼と考えていますゆえ、貴方の不安は
杞憂で終えるでしょう。

200 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/16(金) 00:48:41 0
>195
ふむ、例え朽ち果てていれど、恋人を愛すかのごとく長年共に付き合った船であるゆえ、そう簡単に手放す事が
出来ないものなのです。それに、朽ち果てていれど念を持って修復すれば、長く維持を果たす事は可能です。

朽ちているからといって安易に違う船に乗り換えるのは乗り物であるとはいえ、それは其の船に対して裏切る事に
なりかねません。それは国も同じです。

恐らく貴方はその朽ちた船を我が孫呉に、巨大で煌びやかな船を晋と見立てているそうですが、其の船を愛する者は
船に寿命が尽きて沈む時、共に運命を共に沈んで殉ずるのが本望である様に、私も愛する国と共に滅ぶのが本望です。

>197
女性で身を滅ぼした武将……。そうですね、君主では斯様な事をして、国を傾けさせたという話を聞いた事がありますが、
将で該当するとすれば……、董卓殿ですかね? 彼は「三国志演義」では当時の漢王朝の司徒であった王允殿の策略である
「離間の計」により、王允殿の義理の娘君であった貂蝉殿を寵愛した事により、同じく貂蝉殿を愛していた呂布殿と仲違いに
なり、呂布殿に殺害されましたから。

ですが武将たる者、常に国の事を案じて尽くし、また質実剛健を身上とするのが常。それ以外ですと将で女性によって
身を滅ぼされた者は見当たりませんね。


さて、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、晩秋の素顔が露になって来ており、寒気が厳しくなりつつありますゆえ、皆様どうか御身体を大事にして
お過ごし下さい。

では、さらばです。

201 :名無しになりきれ:2007/11/16(金) 01:10:07 O
アギュパッパラホ、ピパパパパ!

202 :阿会喃 ◆VAbrn7HLcE :2007/11/16(金) 01:14:28 0
>>201
アンタはここに帰れ!!!!!




http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1191987181/

203 :名無しになりきれ:2007/11/16(金) 19:03:38 0
蜀がなくなった途端、だめになりましたねえ

204 :兵卒:2007/11/16(金) 20:34:40 O
近くに魏将陳泰が守る砦があるらしいですぜ
そこを占領し魏攻略の足がかりにしましょうや

205 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/17(土) 01:24:19 0
……来ました。今日は冬の到来を思わせる肌寒さがやって参りましたね。皆様、何度も申しておりますが、風邪等には
お気を付け下さい。

あと倭国では今度は国を代表する蹴球(サッカー)の監督官(イビチャ・オシム監督)が急性脳梗塞で倒れられたそうですね。
此方と致しましても、一刻も早く復帰して選手を大いに励ます姿を見たく存じます。

……では今宵も来て下さった方々の為にも、返答させていただきます。

>201
むむっ……、それは異国の言葉でありましょうか。誠に申し訳ございませんが、理解し難く存じますゆえ、何方かお教え頂け
ませんでしょうか?

>202
おや……、貴方はかの南蛮の王である孟獲殿の将であり、三洞元帥の一人である阿会喃殿ではありませんか。遙々この孫呉の
地に来てくださり、感謝致します。

何と、>201殿は貴方と御関係ある方でありましたか。その方を本来居るべき場所に戻すと……。いやいや、わざわざこの地を
訪ねられましたからね、ごゆっくりして来て下さい。

どうぞ。 つ旦 旦 (←龍井茶)

……あと場所を御拝見いたしましたが、その地に建てられた砦はどうも誰からにも望まれて建てられたものではなかった
そうですね。それを貴方が皆をもてなす為に再興させ、守り続けているというのは誠武人として立派な志であり、鑑であると
思いますよ。

そういえば以前、此処を訪れた陳泰殿がいる砦もまた、誰にも望まれずして建てられた地でありましたね。彼等の様に、
これからも建てた場所を無駄にせず、賑わせる人々が増えるのを願っておりますよ。

206 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/17(土) 02:11:41 0
>203
ええ……、以前何方かが申しておりましたが、魏の国力が5であれば呉の国力は2、蜀の国力は1であり、到底呉か蜀の
どちらか一方が魏に挑んだとしても太刀打ちは出来なかったそうですからね。故に、打倒するには孫呉と蜀が連携を取り、
魏を翻弄させて倒すしか道は無かったのです。

……三国時代後期になりますと、蜀では宦官の黄皓殿の専横及び度重なる姜維殿の北伐により、2国に劣る国力が疲弊し、
それによって先に滅亡の一途を辿ってしまい、更には魏の国力として吸収されました。

……孫呉と致しましては更に国力に差を付けられ、また後継者争いである「二宮の変」の後遺症に悩まされ、また孫呉の
現状に憂いを感じた後主様による放蕩により、国力が著しく低下、魏の後を継いだ晋を倒す術が無く、そのまま滅ぼされると
いう結末に結びついたのですからね。

今まで斯様に申して参りましたが、恐らく天は魏の天下を約束していなくとも、蜀や孫呉にも天下を取らせる心算はなかった、
と私は思いましたね。

>204
ああ、此処に参られた陳泰殿の事ですね? それで、その陳泰殿の砦を攻め、占領すると?

……確かに史実と致しましては、向こうの砦にいる陳泰殿とは敵対関係です。ですが陳泰殿は以前、斯様な私の元に訪れ、激励と
倭国の菓子である麩の饅頭を贈って下さいましたからね(>>83を参照)。斯様に礼儀を尽くしてくださった御人にいきなり攻め立て、
占領するというのは無礼の極まりですからね。もしも攻めるのであれば、陳泰殿が心変わりした時に攻めた方が良いでしょう。

まあ、斯様な事になるのは夢のまた夢だと思いますが。

……さて、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、この時期、くれぐれも寒さに屈せず、風邪を引かぬよう御願い致します。

では、さらばです。

207 :名無しになりきれ:2007/11/17(土) 14:38:34 0
にゃー

208 :名無しになりきれ:2007/11/17(土) 18:35:16 O
あんたって人はーーーーーー!!!!
また戦争がしたいのか!!!!

209 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/17(土) 22:41:49 0
>>197
女で身を滅ぼした武将……か。
かの董仲穎は美女連環の計で誅殺されたと聞きます。
もっとも、これは創作の疑いがありますが……。
他に挙げるならば、曹孟徳は美女に魅了され、危うく命を落としかけた。
その謀略を考えたのが、賈文和とされています。
董仲穎がそうだったかは、私には分からないが曹孟徳は明らかに英雄。
英雄色を好む、昔からよくある言葉ではあるな。

>>201
奇怪な言葉を話すではないか……?
山越か、それとも南蛮か……漢民族ではない、異民族であろうが……。
出来れば、私にも理解できる言葉で話していただければいいのだが。
そうそうは上手くいかないものであるな。私の勉強不足であろう。

>>202
ああ、やはり南蛮の言葉であったのか……。
道理で我々には些か分かり辛かったはずだな。
文化、風土が違えば、慣習や言葉は全く異なったものとなるという。
事実、この楊州と河北では訛りがあり、違った言葉に聞こえるからな。
そして……なるほど、宣伝も兼ねているようだな。
南蛮も蜀漢の諸葛丞相に伏してからは、知恵を付けてきたとみえる。
あの武力、武勇に知恵が備われば、まさに鬼に金棒であろうな。

>>203
確かにな、蜀漢と孫呉は持ちつ凭れつの関係であったことは確かだ。
それから脱却できないほど、我々と曹魏との国力差は大きかったのだ……。
例えば、河北を制すれば兵馬はゆうに三十万は養えるという国力だそうだ。
それに、中原を加え、さらに夷胡も曹魏に平伏していたという。
二国を合わせて、ようやく立ち向かえる国であった、という訳だ。
だが、だからといって負けていいと言う訳ではない。
――私の力が及ばなかったのだ。ただ、それだけの話だ。

210 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/17(土) 22:56:43 0
>>204
そうか、敵の砦を見つけただけでも、大きな功績となろう。
だが、今すぐに攻め落とすと言うのは些か早計であろう。
我々がしっかりとこの砦を守り、そして向こうが砦を放棄した時を狙うのだ。
それまで、我々は砦を死守し、機会を窺わねばならない。
今はそのことに君の力を貸して欲しい、そしていずれ、孫呉が羽ばたく時にも……な。

>>207
……猫か? 今、鳴き声が聞こえたような気がするが……。
しかし、最近は動物を愛でる暇もなくなったものだな……。
昔と違って、ゆとりがなくなってしまった。心が貧しくなったのか?
否、否……気を張り詰め過ぎて、その気を感じて動物も寄り付かなくなったな。
そう思いたいが、困ったものだな……。

>>208
いや、私はただ無為無策に戦争を遂行するのがいいとは思ってはいない。
戦争とはあくまでも手段だ。それまでは、話し合いで解決を図るべきだ。
それで、交渉が決裂した時、初めて戦争と言う手段を行使するべきなのだ。
それまでに準備は必要であるが、交渉中は行使することを億尾にも出さない方がいいだろうな。
戦争が好きな者など居ないはずだ。人が人を殺しあうのだぞ……好きな奴があってたまるものか。
帝と言えども、無闇に戦争をしようものなら、私が精一杯の諫言をしてみせるさ。
だから、そう叫ばんでくれ。戦争を好むものなど居ないのだからな。

>>張悌
いや、私としてもこの砦を守ることとなったのだ。
当然のことを行ったまでだ。だが、この当然のことを当然とするのが難しい。
事実、昨日は顔を見せることが出来なかった……。
理想としては、毎日顔を出すことであろうが、それは難しくなるかもしれない。
張悌、お前には迷惑を掛けるだろうな……。
いや、私も陸伯言を父に持つという誇りがある、名前がある。
孫呉の功労者であった父の名を辱めぬためにも、私は励まなければならない。
及ばずながら、私も最後まで戦い抜く所存だ。

211 :名無しになりきれ:2007/11/18(日) 01:35:27 O
山越ってなんじゃらほい?

212 :名無しになりきれ:2007/11/18(日) 22:01:32 O
八卦の陣法とか八卦陣の奥義とかってどんな意味なんですか?

213 :名無しになりきれ:2007/11/18(日) 23:10:38 0
こういう風に色々質問してくる奴って一体何なんだ?

俺からしてみればコイツ、スレ主の事を馬鹿にしている
ようにしか思えねえな。

214 :名無しになりきれ:2007/11/19(月) 01:49:47 O
>>213
>>1読めよ。質問に答えるって書いてあんだろ
あ、もしかしてコピペか?マジレスゴメン

215 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/20(火) 20:01:36 0
……来ました。いよいよ倭国では本格的な寒波が到来し、東北部では早速、真冬の寒さと積雪が生じている模様ですが、皆は如何
お過ごしでしょうか? 風邪を引いてはおりませんか? 引いたならば直ぐに安静にする様、心掛けて下さい。

……では来て下さった方々の為にも、御返答致しましょう。

>207
む、今何か鳴き声が聞こえましたね……。

(よく見ると)ああ、猫でしたか。それにしても何と愛らしい……。

そう言えばこの何ヶ月もの間、国を守る為の激務に追われているが故に、動物に心を寄せる暇もありませんでしたね。
久しぶりにここは一つ、この猫と戯れ、心を落ち着かせるように致しましょう。

さあさあ、こっちにおいで……。

>208
いいえ、私も正直に申しますと戦争というのは起こしてはいけないものであり、あってはならないものと考えて
おります。これは先の陸抗様が申されておりましたが、その戦争に結び付くまでは、御互い話し合いをし、
御互いの主張を分かち合って和解を果たし、解決するのが最良なる策。それが果たせず、最終的に決裂した時、
武力による衝突が生じてしまうものなのです。

……ですが「戦争」自体を好む者というのは決して存在は致しません。例え戦争が起こったとしても、兵や将軍の多くは、
早期の決着や和解、平和を望む者が多く、また家庭を持つ者は一刻も早く、親や愛すべき妻子の顔を見たく思うでしょう。

単に「戦争」というのは人が人を殺めあい、血を流しているだけではなく、御互いにそういった気持ちをぶつけ合い、
御互いに生き延びようとして争うが為に斯様な悲しみを生んでしまうものなのです。
それを防ぐ為にも、その人々の気持ちを上の者は察し、潔く相手に譲るか、また和解に務められれば、事前に悲しみを
阻止する事が出来る筈です。

216 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/20(火) 20:02:30 0
>211
………嘗て秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓といった、「戦国七雄」という諸国が占めていた春秋・戦国時代で
あった頃、江南の地に存在していた「越」という国の民の血を引く者達が、「越」が楚に滅ぼされると一部の
越の王族と共に「?(現在の福建省)」に逃れ、?越という国を建てたのですが、それもやがて中原の統一を
果たした秦によって滅ぼされたのです。

……ですが?越が滅んだとはいえ、越の王族と共に落ち延びた越の国の民は、江南の各地に散り、その多くは山岳地帯に
隠れて棲み、何時しか平地に出て略奪を働く、孫呉にとって大きな障害となる国賊と化したのです。

それが「山越」という名の民族です。

彼らはその山岳地帯に住む事によって本拠地を不明確にし、また巧みに略奪を働いては孫呉に討伐されそうになると上手く
四散して隠れるといった、巧みな戦略を持っていたため、勇猛で名高い長沙桓王様(=孫策)も、大帝陛下も鎮圧する事が
容易ではなかったそうです。特に大帝陛下の場合はその山越の軍勢に奇襲されて囲まれ、周(泰)将軍が身を呈して防ぐ事が
なければ落命していたであろうという所まで追い込まれたという話がありますゆえ、武に長けている民族でもあったそうです。

ですが後に孫呉の勢力が拡大すると共に山越の勢力は次第に縮小され、歴史からひっそりと消えていきました。

217 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/20(火) 20:03:57 0
>212
それはどちらも孔明殿の必殺奥義であり、儒教の基本である五経の筆頭・「易」の基本図像である八卦を元にした計略です。
「八卦」とは古代中国の帝王・伏羲が考案したと伝えられる易の中で、(乾)・(兌)・(離)・(震)・(巽)・(坎)・
(艮)・(坤)という、自然界の現象を八つの象に分類したものであります。卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻に
よりできたものである。爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦がで出来るのです。

またその八卦を2つ掛け合わせることによって「六十四卦(『六十四爻』とも言います)」が成り立ち、それによって吉兆を
占う事ができるのですが、恐らく孔明殿の計略はこれを用いているのではないかと思われます。

まず八卦の陣法。これは味方の部隊の数に応じて効果が生じるものです。

(効果)
4部隊の場合……兵力が回復する 3部隊の場合……武力が上がり、兵力が徐々に回復する 2部隊の場合……武力が上がり、
敵の計略を受けなくなる 1部隊の場合……武力が大幅に上がり、移動速度が上がる

4部隊の場合は「集まり賑わう」という意味を持つ「沢地萃(たくちすい)」、「心の触れ合い」を持つ
「沢山咸(たくさんかん)」という卦が発動し、兵の力を集結させているそうです。

3部隊の場合は若干、「沢地萃」と「沢山咸」の卦が発動する他、「昇竜、力を蓄える」という意味である「乾為天(けんいてん)」、
「いざ、共に戦うべし」という意味を持つ「地水師(ちすいし)」と「今が革命の時」の意味を持つ「沢火革(たくかかく)」と
いう卦が発動して効果が生じ、2部隊の場合は「地水師」と「沢火革」と「乾為天」の他、「障害を噛み砕く」意味を持つ
「火雷噬ロ盍(からいぜいこう) 」が発動する事によって武力上昇と敵の計略に罹らなくなり、1部隊の場合ですと主に
「沢火革」と「地水師」と「乾為天」が、それと同時に「疾風迅雷、時は来たり」という意味を持つ「風雷益(ふうらいえき)」と
いう卦が発動する事により、大幅な武力上昇と移動速度が増していると思われます。

(次に進む↓)

218 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/20(火) 20:05:50 0
(前回の続き)
では次に、発動させる範囲の中に味方の部隊が多い場合だと武力が上がり、敵の部隊が多いと3本の雷が落ち、敵に打撃を与える
「八卦の奥義」について申しましょう。

(効果)
範囲内に味方の部隊より、敵の部隊が多いと3本の雷が落ち、敵部隊に打撃を与える。尚、打撃は敵の知力によって左右する。
逆に範囲内に味方の部隊が敵部隊よりも多い場合、味方の部隊の武力が上昇する。

味方が多い場合だと、八卦の陣内には「乾為天」と「地水師」と「沢火革」が発動する事によって武力が上がり、逆に陣内に
敵部隊が多い場合ですと、「進むも退くも危うい」という意味を持つ「水山蹇(すいざんけん)」、「強者の勇み足」という
意味を持つ「雷天大壮(らいてんたいそう)」、「身の程を知る」という意味を持つ「雷山小過(らいざんしょうか)」、
「独裁者の誅殺」という意味を持つ「沢天夬(たくてんかい)」という卦が発動し、雷を落として敵を撃破するそうです。

結論としましては、孔明殿は六十四卦、其々を用いて部隊の兵力回復、武力上昇を促したり、敵を撃破させているという事に
なります。

かなり長くなりましたが、私からは以上です。

>213
恐らく>>212の質問に対しての憤りを感じた余り、斯様に口走ったのでしょうか? 確かに私は易者ではありませぬゆえ、
この理論について考えるのに2、3日は要してしまい、大変ではありました。故に私の立場になりますとそう言いたくなる気持ちは
分からない訳ではありませぬが、言動といたしましては、この砦に不穏な空気を招きかねないのもまた事実。なので以後は
慎重に発言していただきたく思います。

219 :名無しになりきれ:2007/11/20(火) 20:10:18 0
張丞相

キタ━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!!!!!!!!

220 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/20(火) 23:47:39 0
さて、少し入浴して参りましたが、引き続き返答致しましょう。

>214
まあ、そう言わずに。貴方のその挑発的な言動も不穏な空気を招きかねませぬゆえ、貴方も以後は慎重に発言して頂きたく
存じますよ。

>陸抗様
申し訳ございません。直ぐにでも返事を御送りして、謝礼を述べたく思いましたがここ数日は猫の手を借りたく思うほど
多忙ゆえに此処に来る事が叶わず仕舞いでありました。

故に、毎日顔を出すというのは此方としましても難しいものでありますゆえ、お気になさらず、陸抗様は陸抗様が赴きたく
思う時に御姿を見せていただければ、この張巨先、何よりの喜びでございます。
あと、陸抗様が御父上である陸昭侯の誇りを以て励まれるのであれば、此方も孔明殿の兄上である諸葛瑾様に推挙された事を
誇りに思い、これからも戦う所存でございますよ。

>219
斯様に私を待ち侘びてくれる方が居られるとは……、ありがたい事です。斯様な方の為にもこれは頑張らなければなりませんね。

221 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/21(水) 00:31:05 0
さて、暫く待ってみましたが、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、>213、>214での発言が気になりましたので
此処で一つ申し上げます。

確かに>214殿の相次ぐ質問というのは正直申しますと応答するのが容易ではありません。ですが、彼にはどういった知識を欲し、
また何が「これから生きる術に役立つか」を探す為に此処に来られているという気持ちが籠っております。故に、斯様な人々を
野放図にするというのはその人に対しての礼を損なわせ、信頼を失わせるという事に繋がりかねません。よほど過激な質問や
卑猥なる質問ではない限りならば、この張巨先、誠心誠意を以てお答え致しますゆえ、今後ともどうか宜しく御願い致します。

最後に、この言葉を掲げ、今宵は失礼致します。

「願わくば、我に七難八苦を与え給え!!」(山陰の戦国大名、尼子氏の再起復興を三日月に祈った猛将・山中鹿之介の名言)

「――君は乱世の奸雄だと、かつて予言者がおれに云った。
おれは満足して起った。よろしい、天よ、百難をわれに与えよ、
奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる。」

(吉川英治『三国志』の『群星の巻 生死一川』にて長安に退く董卓軍に惨敗を喫した際の曹操の発心)


――人は困難があればこそ、それを乗り越えて栄光を掴むという生き物です。この砦も同じで、今斯様に困難があればこそ、やがて
いつかは皆から愛される場所として成り立つものであり、成長するものであります。それを促すのは我々孫呉の人間であり、貴方がた
来訪者。

それを忘れぬよう、どうか心に留めておきますよう、どうか宜しく御願い致します。

では、さらばです。

222 :名無しになりきれ:2007/11/21(水) 01:16:51 O
ここも不穏になっているとはな……
陳泰の所へ逃げよう

223 :名無しになりきれ:2007/11/21(水) 16:06:14 0
呉の植民地が沢山ある訳だが┐(´A`)┌

224 :名無しになりきれ:2007/11/22(木) 01:40:38 O
ここはまだ勢いのある方だろ
まぁどこもあんま変わらんけど

225 :名無しになりきれ:2007/11/22(木) 11:26:59 O
集中力を、つけるには何をしたらいいかな?

226 :名無しになりきれ:2007/11/22(木) 15:47:32 O
正座でもして反省してろということか

227 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/22(木) 18:06:26 0
>>211
山越とは孫呉にとってしてみれば、脅威の異民族であろうな。
武に長け、戦は巧みで大いに孫呉を苦しめてきた。
もっとも、大帝陛下が敗れ去ったのは、元来の戦下手にも起因するでしょう。
合肥でも危うく命を落としかけていますし、陛下は政道の人でした。
それでも、晩年は政道を誤っていましたから、老いとは怖いものだな……。

>>212
蜀漢の諸葛丞相がよく用いたもの……だな。
詳しくは張悌が述べてくれているし、私から付記することはない。

>>231-214
そうは言っても、この砦の趣旨は張悌が皆からの質問に答えることだ。
質問がなくては、張悌も上手く活動は出来ない。
質問することは悪いことではないが、常識の範疇で……な。
皆が支えてこその、この砦なのだからな。

>>219
そうか、そんなに嬉しかったのか、張悌も人気なようだな。
フフ……私もそこまで言われてみたいものだな。
それには、更なる精進が必要であろうが。

>>222
不穏、と申すと? 聞き捨てならぬ言葉だな。
どの辺りが不安なのだ? 言ってもらわなくては、こちらも対処し難い。
過ちを繰り返すことは、いいことではないから、直さなくてはならない。
いけないと思ったら、遠慮することなく、指摘することだ。
――だから、どこが不穏だと言うのだ?

228 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/22(木) 18:19:01 0
>>223
孫呉の植民地か? それほど多いとは思わないがな。
国力では魏に大きく開かれているからな。
植民地が多ければ、収入は増えようが、なまじ植民地にするならば……。
完全統治してしまう方がよくはないか……?

>>224
つまり、「五十歩百歩」か……かの孟子が恵王に戦争を以て喩えた話と聞く。
すなわち、覇道政治は辞め、仁義による政治を行えと説いたものだな。
趣旨は逸れてきているが、孟子が言うことは分からぬでもないが。
食うか食われるかの世界に生きるものとしては、夢を追い求めすぎだな……。

>>225
戦場に出れば、否応なしにも集中力は高まるぞ。
どこから敵兵が湧いて出てくるか分からぬし、矢が飛来するやもしれん。
五月雨の如く、相手が矢を射ようものなら、思わず戦慄してしまう。
窮地に立たされれば、命が懸かれば、人は必死になるものだ……。

>>226
ん? 私には少し意味が分からなかったな?
どういった文脈でそれを申したのか……がな。
反省の態度を示し、行動で表すと言うのは悪いことではない。
下手に取り繕い、誤魔化そうとする者よりは信頼できる。

>>張悌
すまない、数日間出入りが出来なかった……。
私も誠心誠意、返事を続けていく心算だ。
そうすれば、自ずと結果は付いてくるものだと信じているからな。
それに、艱難辛苦は一人で背負う者ではない。
皆でそれを乗り越えてゆこうとすれば、いくらかは楽になるはずだ。
私も手伝うのだから、そう気負うことはない……。

229 :名無しになりきれ:2007/11/23(金) 01:06:05 O
お二人は甘い!甘すぎる!鉄と血でもってのみ中華は統一されるのだ

230 :名無しになりきれ:2007/11/24(土) 02:04:31 O
保守として上げます。

231 :名無しになりきれ:2007/11/24(土) 17:39:26 0
張悌さんって、光栄の三国志シリーズのパラメータではダメ宰相の烙印を押されている人だっけ

232 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/24(土) 23:33:38 0
……来ました。暫く此処を空けてしまい、来て下さった皆様に大変ご迷惑をおかけした模様で、誠申し訳なく存じます。
ですがこれからもこの砦をこの身を賭けて守りますゆえ、どうか宜しく御願い致します。

……では早速、皆様の御質問にお答え致しましょう。

>222
不穏ですか。私と致しましては取り分けそうには思えませぬ。ただ単に不穏だというだけではそれこそ和を乱しかねませぬゆえ、
具体的に何が至らなかったのかがあればどうか御教え頂けませんでしょうか?

>223
呉に植民地が……? いやいや、国力は晋の方が孫呉より格段に上ですよ。それに植民地にすればその支配下の国の内政をその国に
任せる事もあり、場合によっては背かれる危険性があるゆえ、直接的に孫呉の領土として統治する方が良いと思いますよ。

>224
そうですか、そう言って頂けると嬉しく思いますね。ならば今の勢いをそのまま維持すると同時により皆様に興味を持って
頂けるよう、この張巨先、日々研鑽を積む所存です。

233 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/24(土) 23:34:18 0
>225
そうですね……、自分に興味がある事や好きな事に励むのが得策ですが、それは時として浪費など様々な弊害を生じるゆえ、あまり
お勧めは出来ません。

私と致しましては、日本には「坐禅」という、姿勢、呼吸、心の中を整える、仏教の宗派の一つである「禅宗」の一方法をお奨め
致します。

どの様に行うのかといいますと、

1・左腿の上に右足を乗せ、右踵を腹に近づける「結跏趺坐(けっかふざ)」あるいは右腿の上に左足を乗せ、また一方、
左足のみを右腿に乗せる「半結跏趺坐(はんけっかふざ)」という胡坐をかぎます。
2・目を半分瞑り、視線を約3尺位(1m)程度先に落とし、その次に手は右掌を上に向け、その上に左掌を上にして重ね、
両手の親指先端を微かに合わせる「法界定印(ほっかいていいん)」を組みます。
3・あごを引き、舌は前歯の付け根に軽く触れるようにして口を軽く結ぶ。次に肩の力を抜き、背筋を伸ばし、鼻と臍が
相対するように腰は引き気味で腹を少し前に突き出します。
4・最後に呼吸は自然にまかせ、鼻からゆっくり吐き、吸い、丹田(つぼの一つで、臍より少し下の方に当たり、集中力が
増すといわれています。)から吐き出します。

その格好及び呼吸の方法を繰り返す事によって心は落ち着き、また集中力が増加するそうです。実際私はこれを時として
行い、集中力を付ける様にしておりますゆえ、一度お試し下さい。

>226
む、わたしは斯様な発言は一度も発した事はありませんよ。それに、貴方が何をしたのかは分かりませぬが、正座は反省の
意味が籠っておりますゆえ、そうして反省を促すのは良い事です。

>229
まあ確かに、斯様に野望や情熱を持つ者こそが中華の地を統一するのが正直申しますと相応しく思います。

魏の権力を、更には国家を掌握して晋を建国した司馬一族、対して後継者争いの果て、完全に守備側に回り、かつ内部から
国家を腐敗させた孫家……。斯様に比べますと、どちらが統一するのに相応しいかといえば、残念ながら司馬一族の方が
相応しく思いますね。

まあ、都しか領土が残されていなかったにもかかわらず、最後の最後まで領土の回復を図った西洋の拂菻國(ビザンツ帝国)と
比べますと、領土的には孫呉はその頃でも広大な地を保持しておりましたから、まだまだ天下統一の機はあったのかも知れませんが……。

234 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/24(土) 23:35:04 0
>230
ありがとうございます、斯様に保持を務めていただきますと、此方としてもより奮起いたします故、
これからもこの砦を宜しく御願い致します。

>231
駄目な宰相、ですか……。そうですね。確かに私がその「三国志」に初登場した時から暫くはあまり知力、武力、魅力は
冴えた所は見られませんでしたね。ですが最近は、能力的には武力は徐々に下がってきているものの、知力と魅力は上がって
おりますゆえ、皆様の為に活躍が出来たらばと思っております。

>陸抗様
陸抗様、お久しぶりでございます。貴方がこの地に来訪されているにもかかわらず、またも暫く空けてしまいました。
この場を借りて御詫びを申し上げます。

>それに、艱難辛苦は一人で背負う者ではない。
皆でそれを乗り越えてゆこうとすれば、いくらかは楽になるはずだ。
私も手伝うのだから、そう気負うことはない……。

今思うと私は何かと貴方に助けてもらい、守られている事が多くありましたのに……。貴方のその御言葉、
誠に嬉しく存じます。ですが此方としては砦の主としての責任がありますゆえ、もし陸抗様に何か危機が
生じた時があれば、この張巨先、率先して助けに参りますのでどうかこれからも御安心して此処に赴いて
頂ければと思います。

さて、もう宵の口を迎えてしまった模様ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの
質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、寒気が増し、風邪を引き易い季節と化してきましたので皆様、必ず暖をとってお休み下さい。
では、さらばです。

235 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/11/24(土) 23:47:19 0
最近は寒くなってきたが、私のところは心地よいくらいの涼しさだ。
風呂上りの夜風というものは、涼しいものだが、湯冷めには気をつけないとな。

>>229
すなわち、戦うための武器を取り、戦いの血を流してこその天下と申すか。
それは覇道政治、という訳だな。確かに……そうだ。
だが、政治の本質は民を虐げることではない。民を守ることだ。
戦火によって、一番苦しむのは無辜の民草であろう。
それだけに、我々は慎重にならなければ……いけないのです。

>>230
これは、気苦労を使わせて悪いな。
お主のような支えがあるからこそ、砦は続いていけるものです。
そのお心遣いに感謝する……。

>>231
最近はそうでもないぞ。昔の三国志は……散々な扱いを受けていた者が多かった故な。
今の張悌は文官としては、なかなか使える能力を持っています。
統率も案外と高く、戦で全く使い物にならない、という訳ではないな。
フフ、近頃は多くの将兵が見直されてきていますから……。

>>張悌
ああ、私も何か困ったことがあれば、助けてもらう心算だ。
だから、そう重く受け止めることはない。
肩の力を抜いて、伸び伸びと張悌は自分の力を発揮すればいいのだ。
何と言っても、お前は孫呉の最後の丞相なのだぞ。
その誇りを持て、今まではその名前に恥じぬ働きをしているのだからな。
ただ、これから先までずっと続くのかは未知数だからな。
――道を誤れば、私が諫言をするから……な。

236 :名無しになりきれ:2007/11/25(日) 12:22:17 O
人はいつか滅ぶと思いますか?

237 :名無しになりきれ:2007/11/26(月) 00:50:06 O
陸抗さん三国志大戦3出場決定オメ!
張丞相も諦めないでね。二張が変わりに出そうだけど

238 :名無しになりきれ:2007/11/26(月) 16:54:30 O
人殺し?

239 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/27(火) 19:09:56 0
……来ました。今日はやや寒気が弱まり、比較的穏やかな天気でありましたが、少々天気が崩れ模様でもあるのが
気になりましたね。

皆様、如何お過ごしでしょうか? 今の時期は年の瀬に差しかかっておりますゆえ、体調を崩さず日々謹んで
お過ごし下さいますよう御願い致します。

では、来て下さった方々の為にも、只今から御返答致しましょう。

>236
そうですね、この世には永遠に一つの種が栄え、生き延びる事はありません。ですから今、この世界でどの
動物よりも繁栄を極めている人も、何れは滅びの道を辿るでありましょう。

太古の昔、この我々が住む世界で栄え、大きな天変地異によって滅びた恐竜の様に――――――。

これは天地開闢の頃からの掟でありますゆえ、逃れる術はないでしょう。最も、異世界または別の星に移り住む、
という手段を除いてではありますが……。

>237
ええ。私も風の噂でその一報を耳に致しましたが、何でも能力が上がり、「呉魏の連合号令」から「小戦の指揮」と
いう、少ない士気で攻防に役立つ計略であるそうで……。此方と致しましてはこれからも陸抗様の御活躍と成長を
願っておりますよ。

あと、私の代わりに孫呉の重鎮たる張紘様と張昭様が出陣される、と……? なるほど。もしそうであれば、この御二方は
(史実では)孫呉を永く守ってきた人々でありますからね、「三国志大戦3」でも孫呉を守り通して頂きたく存じます。

最後に追伸ですが、私は「排出停止」とはなりましたが、どうやら「使用禁止」まで至らず、「三国志大戦3」でも戦場に
立てる模様ゆえ、もし私を見かけましたならば一声頂けたらば光栄でございます。

240 ::2007/11/27(火) 19:28:16 O
お偉いさん方は本当に私達の事を考えてくださっているのか……

241 :名無しになりきれ:2007/11/27(火) 19:32:36 0
呉の歴代丞相の中で最も活躍したとすれば……、陸遜、顧雍、歩隲、そしてこの
張悌かも知れん。

特に歩隲の場合は若い頃から励んだ勉学が功を奏し、多くの人材発掘に功を成した他、
軍事的にも交州の異民族平定などを果たしているからな。

張悌の場合は……、呉が滅亡する前の年に丞相となっているから、殆ど実力は未知数だが、
蜀の滅亡を予見したりと察知能力があるから、良き時代に丞相になっていたならば、凄い
大物になっていたのかも知れんな。まあ、これは陸遜や冷静沈着な顧雍にも言える事だが。

242 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/27(火) 20:42:30 0
>238
人殺し、ですか……。

まあ、戦場に立った以上、各々が様々な思いを成し遂げ、生き延びる為には人に手をかけるのはいた仕方が無いものです。
私と致しましては斯様に悲しき事は永遠に消えてほしく存じますが、それが叶わないのが現実。如何にして御互いが血を
流さず、和解するというのが我々人間にとって、永遠の課題でありましょう。

>240
真の偉人たる者はまず自らの事を考えるより、真っ先に周りの人々の事を考えるものでございます。例えば、陸昭侯の様に
飢饉が発生すれば穀倉を開いて民を救ったり、顧(雍)丞相の様に人々の為に直言をして公正に事を裁いたり……。

斯様な事を日々考慮している為、我が孫呉の民は安心して生活を送ることが出来ますゆえ、御安心下さい。

>241
確かに、歩(隲)丞相は若かりし頃、昼間は瓜を売り歩いて生計を立て、夜には勉学に励む勤勉家でありましたからね。
貴方の言うとおり、彼のその博学多彩さが目立ち、孫呉の為に尽力したのは非常に大きいものであったと思います。

まあ、私としましては、この孫呉で最も長く丞相を務めた顧雍様の頃が孫呉にとっての全盛期を迎えたと思いますが、
その後を継いだ陸昭侯と歩隲様を含めましても「二宮の変」を除けば孫呉にさしたる動揺が見られませぬゆえ、正確には
この3代に亘る丞相の頃が孫呉の全盛期であった、と言えましょう。

因みにですが、かの孫呉の「御意見番」である張昭様がもし丞相になったのであれば、それこそ更に孫呉は長く続いたと
思うのは私だけでありましょうか……?

>陸抗様
……承知致しました。ではもし、私の考えに何か可笑しな点がございましたらば、遠慮はございません。どうか御指摘の程
御願い致します。
確かに貴方の申すとおり、この先は未知数ではありますが、孫呉の丞相としての誇りを以て安泰なる道を築き上げ、
これからも日々奮闘する所存でございますゆえ、どうか御安心下さい。それを成し遂げられなければ、その時は……。

いや、何でもございません。兎に角、これからもこの張巨先頑張りますゆえ、宜しく御願い致します。

243 :名無しになりきれ:2007/11/27(火) 22:18:19 0
張昭さんは赤壁で不戦論を唱えちゃったからねぇ

244 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/11/28(水) 00:36:22 0
>243
ええ、確かに張昭様は赤壁の一戦では曹操軍の圧倒的な兵力に挑むのは不利であると見なし、大帝陛下に降伏を勧めていました。
まあ、結果は周都督と孔明殿の主戦論が通り、勝利を飾りましたが。その為、大帝陛下が孫呉の皇帝に即位した時、既に世を
去っていた周都督を賞賛すると同時に、張昭様に対しては「もしあの時、張公(張昭様の尊称)の進言を受け入れていたならば、
私は今頃皇帝ではなく乞食になっていたのかも知れぬ」と仰っておられました。

ですが張昭様は前にも申した通り、長沙桓王様の頃から長く孫呉を支えた功労者。どんなに峻厳な性格であっても大帝陛下からの
信頼は厚く、また朝廷の儀礼制度を制定するという要を占めておりましたから、寧ろあの方の存在は孫呉そのものであったのかも
しれませんね。


さて、もう宵の口を迎えてしまった模様ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの
質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、冬の訪れはもう其処まで来ておりますので、くれぐれも体調を崩さぬようお気を付け下さい。

では、さらばです。

245 :名無しになりきれ:2007/11/28(水) 12:37:12 O
ラーメン食べた事ある?

246 :名無しになりきれ:2007/11/28(水) 17:31:42 O
俺は…俺は自分のケツが拭けても他人のケツは拭けない大人だけには、なりたくないんだ…
だから俺は……







介護師になる!


247 :なりきれ!:2007/11/28(水) 19:58:04 0
お茶のおかわりを

248 :名無しになりきれ:2007/11/28(水) 20:52:58 O
生き物は皆、戦って生きているが、
人間ほど無意味な戦いをするものはいない


249 :民になりきれ:2007/11/30(金) 02:36:21 0
わしゃあ、元の住処を「荒らし」ちゅう奴らに襲われて、
他スレから亡命してきたもんじゃが、
ここん丞相さんはえらい親切なひとじゃなあ。
しばらくお世話になってもよろしかろうか。

250 :名無しになりきれ:2007/11/30(金) 09:10:54 O
どうも砦内が臭いとおもったら貧民共が紛れ込んでおったか
誰かつまみ出しておけ

251 :ニウェ:2007/12/01(土) 00:43:19 0
カッカッカー!!!!! こんな弱小の国、我がシケリペチムの敵ではないわ!!!
者ども、孫呉を我がシケリペチムの武をもって滅ぼしてやれい!!!

252 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/01(土) 23:39:39 0
……来ました。今日は数日前から冷え込みが強くなり、寝床から身を起こすのが一苦労な時期になりましたが、
皆様はいかがお過ごしでしょうか? くれぐれも身体を厭える時は厭い、体調を崩さないようにして下さい。

では来て下さった方々の為にも、只今から返答致します。

>245
ラーメン、ですか? 確かに斯様な麺料理は中原が発祥の地でありますが、我々の時代では粉食の技術が発達して
いるとは言え、まだ麺は広く普及に至ってはおりませぬゆえ、食した事はございません。

>246
なるほど、今の倭国では高齢化の進行が著しいゆえ、斯様に周りの人々を助けたり守ったりする志は素晴らしいもので
あると私は思います。

ですが、一言で介護師と申しましても、その道程は並大抵のものではない努力が必要であり、また貴方がたがいる時代では
どうも数年後には、介護福祉士の取得条件が今までは養成機関、特に介護関係の専門学校で学んだ者は科挙(国家試験)を
受けずに取得が可能となっていたのですが、その人たちも科挙を受けて取得するという、更に取得する段階が厳しくなる
制度になると聞きます(尚、その人達が科挙が未受験であったり、受験しても不合格であった場合は、「准介護福祉士」と
して認められます。また、実務経験者も従来の『3年以上、介護関連施設での勤務』のほか、養成機関で6ヶ月以上の教育を
受けなければ受験資格が生じません)。

まあ、これはあくまで改正案でありますゆえ、実現しない可能性もあります。ですが介護師というのは生半可な気持ちで務めると
場合によっては人命に関わる事態に?がる事もありますゆえ、そこの所に気を付けて下さい。

>247
お茶のおかわりですか。いいですよ、これをどうぞ。
つつ旦(←龍井茶)

あと、魏の陳泰殿から斯様に素晴らしい銘菓をいただきましたゆえ、此方も茶請けとしてどうぞ。
つつ【『麩嘉』の桜麩饅頭】

253 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/01(土) 23:46:06 0
>248
そうですね。確かに他の生き物は自らが生き残る為に戦っていますが、人間の場合は生き残る他にも己の欲望を満たす為に
戦う事もありますからね。斯様に考えますと、我々の時代は正に戦いの殆どの理由はその己の自己満足であるのかも知れ
ません。

故に、真の平和というものがいつ来るのか、日々憂いに感じますね……。

>249
何と、元の住処が賊なる者達に襲われて失ったと……。それはお気の毒でありますね。分かりました、では向こうの動向が
完全に治まるまで、此方に滞在して下さい。

ではこれをどうぞ。つ【戸隠蕎麦】

蕎麦で名高い倭国の信州というところで作られたものでして、非常に腰があって美味であるとの事ゆえ、どうぞ御賞味下さい。

>250
斯様に民を虐げるような行為はお止めなさい!!! 斯様に身形が粗末であるのは、何か深刻な事情があるが故に、
そうなってしまったのでありましょう。身分の上下を問わず、常に民を慈しむのが我々の務め。それを怠るのは、
真の武人として、また孫呉の人間として、欠落している部分であると思いなさい。

(民に目をやり)どなたか、この方に湯浴みと食事を差し上げなさい。それから何があったのかをこの方から
聞きましょう。

254 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/01(土) 23:47:09 0
>251
(呉の兵士「て、敵襲、敵襲―――――――――――!!!!!」)

む、何事です!!?

(呉の兵士「突如、東海〔=東シナ海〕から長江にかけて、北方の蛮族と思しき敵軍が来襲して銭唐〔=今の杭州〕を陥落、
このままこの建業に迫っているという報告が入りました!!!!!」)

そうですか。よし、では城外の守りを固め、弓部隊を城壁の上、及び濠の下に待機するよう呼びかけなさい。あと、万が一敵軍が
城内に入ってきた場合に備え、伏兵5000人を建物に潜ませ、また被害を最小限に抑えるべく、市民を地下の避難路の方へ
誘導するように。分かりましたね?

(呉の兵士「はっ!!!」)

……まさか斯様な方面から敵が来るとは……。陸抗様は今、孫呉の要衝とも言うべき西陵の守備にかかっているゆえ、ここは
私が何としてでも守り通さねばなりませんね……。


さて、私は明日重要な軍議がありますので、これにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以て返答致しますゆえ、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、本格的に冬の到来を思わせるほど、冷え込みが再び強くなりましたので、くれぐれも体の管理を怠らず、1日1日を
お過ごし下さい。

では、さらばです。

255 :そんこう:2007/12/02(日) 01:06:00 O
>>250の言う通りだぜ張悌〜
俺の城に来るような身の程知らずな貧乏人は斬り捨てちまえ〜

256 :酒屋:2007/12/02(日) 03:58:31 O
年末なんで、そろそろ呉帝様の酒代のツケを払って頂きます。斬首を恐れずに取り立てますよ!


その後、この酒屋の姿を見た者は居ない

257 :名無しになりきれ:2007/12/03(月) 14:24:12 O
昨今の人達は国を思う気持ちが欠けていると思いませんか?


258 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/04(火) 22:49:36 0
……来ました。今日は先日この建業に侵攻してきた北方の蛮族を懸命の防戦と陸抗様の援軍により、漸く退ける事が出来ました。
ですが敵の被害は以外にも然程大きく無かった模様ゆえ、また攻め込んでくる恐れがあると思いますね。

では小康状態ではありますが、来て下さった方々の為にも只今から御返答致しましょう。

>255
畏れながら陛下、身形が粗末である者が城に来たという理由だけで斯様に民の命を奪うというのは、天子としての所業では
なく、天魔としての所業であります。真の天子の役目というのは、民が如何に身形や身分がどうであっても対等に慈しみ、
粉骨砕身を尽くし、民の為に安全な暮らしを供する事であり、己の思い通りに事を起こす事が役目ではございません。斯様に
身形が粗末である民がこの孫呉にいるという事は、率直に申しますと陛下の徳が未だ足りないという事を意味しているので
ありましょう。

なので此処はこの民の身柄を私に預けてはいただけませぬか? 私に彼の身柄を預ける事だけでも、これは陛下の徳と
なりますゆえ、微弱ながら国を思う気持ちが孫呉の民に伝わると思いますよ。

>256
なるほど、酒代ですか。分かりました。その酒代は私が支払いましょう。しかし……、取り立てるだけであるのに
斬首を覚悟して来るとは、今の陛下は余程民に恐れられているのですね……。

(>その後、この酒屋の姿を見た者は居ない)

それは単に今までの酒代の精算をし、時間が長引いているだけですので、ご安心下さい。

>257
そうですね……、そもそも斯様な状況になったのは陛下の度重なる過激な放蕩さが原因であると思います。
故に民はその放蕩に虐げられ、確実に孫呉を見放しつつある模様。これを防ぎ、再び民に「国を思う気持ち」を
芽生えさせるのが臣下の務めであり、天からの使命でありますね。

まあ、かなりの時間を要すると思いますが、何もせずに国の頽廃を見届けるよりかは余程良いでしょう。

259 :名無しになりきれ:2007/12/04(火) 23:09:17 O
裏切り者は絶対に許すな!!

260 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/04(火) 23:40:02 0
>259
確かに、朋友である者や共に国家の為に尽くした者が斯様に背くというのは許されるべき
ものではありません。ですが、斯様な事が生じるというのは、此方にも何か非がある故に
「裏切り」という行為に走ってしまうのでしょう。その裏切りを起こさぬ為にも、我々が
団結力を強め、強い心を作らねばなりません。

また、裏切り者は許されるものではありませんが、理由によっては恩赦を施し、再び共に
戦うこともまた、2度と裏切りを起こさない手段でありましょう。

261 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/04(火) 23:59:56 O
張悌が窮地と聞いて、援軍を差し向けたが、間に合わなかったか?
しかし、無事で何よりだ。
私としたことが、魏によって釘付けにされてしまった。
流石は羊叔子殿と言うべきかな。私も精進が足りぬようだ。
しばらくは国境にあって、砦に来られなかったことを申し訳なく思う。
いや、陛下より謹慎(アクセス規制)を命じられておってな。
この度、魏の攻撃を防いだ功績で、許されることとなったようだが。
要らぬ心配をかけたかもしれん、本当にすまなかった。

262 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/05(水) 00:15:51 0
>陸抗様
陸抗様、御久しぶりでございます。そして何より、此処に来てくださった事、
心から感謝しております。なるほど、羊[示古]殿に釘付けされていたとは、
それは何とも言えないほど大変な事でありましたね……。

(援軍の事について)いいえ、陸抗様。貴方が派遣して下さった援軍は確実に
此方に到着し、無事この建業を守りきる事が出来ました。この件につきましても、
一重に感謝を致します。

(謹慎の件について)何と、陛下から謹慎に処されたとは……。陛下も何故、
陸抗様を斯様な目に逢わせるのか、分かりませぬ。まあ、こうして孫呉をまだ
守る事が出来たものの、もしこれが滅びの道に辿るとすれば、一体陛下はどう
致す心算だったのでしょうね……。

陸抗様、斯様に深々と謝る必要はございません。斯様な事になったのはきっと
天からの試練でございましょう。故にこうしてまだ孫呉が健在であるのが立派な
証拠。なのでこれからも共に戦い、共に守っていきましょう。

263 :張悌 ◆fm/e7yRRqo :2007/12/05(水) 02:02:48 0
さて、こうして待っていましたが、どうやら宵の口を迎えた模様ですね。

では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか宜しく
御願い致します。

最後に、くれぐれも体調を崩さぬよう、1日1日を大事にお過ごし下さい。
では、さらばです。

264 :名無しになりきれ:2007/12/05(水) 18:14:27 O
拷問されたら耐える自信はある?


265 :名無しになりきれ:2007/12/05(水) 23:32:14 0
>>69で出てきたスレを見たあと、ここを見ると何だか清々しく、新鮮な気分に
なるな。

張悌殿や陸抗殿にはこれからもこの調子で頑張ってくれる事を応援するぞ!!!

266 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/05(水) 23:48:25 O
>>236
全ては天命、などという言葉は嫌いなのだがな。
果てなき欲望を制御できなければ、人間など自ら滅ぶであろう。
……大きな権力を持つものが、これに陥りやすいな。
ハハ、頭が痛いよ……。

>>237
すまない、最近は暇と金がなくてな。
ここ数年間は遠ざかってしまって、元々なかった腕も落ちているだろう。
しかし、私の出場が決まったとは、嬉しいことだな。

>>238
ああ、人殺しだ。私の場合は、人を殺す作戦を考えていると言った方が適当かな。
だが、自分では人を生かすための作戦だと思っている。
敵味方問わず、少ない被害で敵を屈服させる。これが、一番いい。
名誉の犠牲は致し方ない――と、思っていたが……どうやら、違うようだな。

>>240
安心してくれていい、民があってこその国家だ。
国の資本は民と土地、それがなくては国とは呼べないからな。
真に民のことを君主が居れば、私が諫めてみせる。
いや、諫めているのか……な?

267 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/06(木) 00:03:24 O
>>241
今、父上の名前を……? ああ、そうか丞相の話か。
私も父上の七光りでここまでこれたようなものだ。
まだまだ、死して尚……父上はこの世で影響を保っている。
それは則ち、生きていることになるのか……?

>>243
張公を糾弾することをできるのは、赤壁を共に戦った者のみです。
私たちが過去を回想し、それを糾弾するのは容易いことです。
しかし、その時の情勢を鑑み、現実的判断を下すには過程があったはずです。
赤壁の折、曹操は80万と号した大軍で攻め寄せたと言います。
それを眼前として、張公は自説を述べたまで、何故糾弾されなければならない。

>>245
すまんな、中原と比べてここは食べ物が悪いのだ。
中原では豚の羹が出たり、牛を食したりするそうだな。
別に憧れは感じないが、魚や狗肉では劣等感は感じてしまうな。

>>246
人に尽くす、よい心構えだ。滅私奉公とも言うか。
私はどうやら艱難辛苦を乗り越えても、孫呉に奉公するようでな。
陛下に嫌われようとも、別に構わない。
フフ、私を庇うような奇特な者も居ると聞くしな……。

268 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/06(木) 00:17:38 O
>>247
張悌が先に出しているようだな……。
私の仕事がなくなってしまったではないか。
ならば……もう一杯、差し上げよう。

>>248
人が大陸に施した悪行は必ず自らに返ってくるものだ。
戦うということは、愚かな者がすることだ。
戦わぬ方がいいに決まっている、しかし……な。
私たちが苦労も察して頂ければ……有難い。

>>249
ほう、お主は魏の者か、或いは蜀の者か?
いずれかに「荒らし」と名乗る賊徒が巣食っているとはな。
孫呉が平穏であるのも、張悌の善政の賜としか言いようがないな。

>>250
……気分が悪い、私はお前のような輩を見過ごす訳にはいかん。
刑法の基本は知っているな? そう、信賞必罰だ。
賞すべきは賞し、罰すべきは罰す。それは身分や門地に関わったことではない。
喩え陛下であろうとも、法を犯せば私は陛下を許さん。
お前は意味もなく、民草を排除しようとした。その罪、許し難し。
よって、棒叩き100回に処する。私は甘くはないのでな。

269 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/06(木) 00:32:05 O
>>251
ええぃ……張悌が撃退したから良いものの……。
お前たちは揃いも揃って何をしていたというのだ。
建業に着くのみであらば、新兵にも容易い。
こうして、軍歴の長いお前たちを送った私の意図も読めないのか……。
援軍が遅れれば一大事だ、以後気をつけることだ。

>>255
畏れながら申し上げます。
些か傍若無人が過ぎるようですな。民心が離れれば、孫呉は魏に対応する術がありませぬ。
更に蜀にですら、進行を許す結果となるでしょう。
暴国の主として、後世に醜名を曝したくば、お好きになされませ。
私から言うべきはこれだけ、陛下ならば分かっていただけると信じております。

>>256
酒屋か、少し頼みがある。
陛下が酒に過ぎたると思えば、私に連絡を。
金ならば、私が少し肩代わりしてやる、だから頼んだぞ。

>>257
確かに……私の場合は滅私奉公が好きだからな。
何とも言い難いが、国を思う心は強いぞ。
少しおかしいのかもしれんな、私は。

270 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/06(木) 11:21:24 O
昨晩は醜態を晒してしまったようであるな。
私も半分眠りながらの公務であったから、記憶が定かではないが。
稚拙な返事になってしまった。気がしっかりしているうちに返すとする。

>>259
確かに裏切り者は許すことはできない。
ただ、敵から味方と帰属してくる者も裏切り者だ。
それまで許さぬというものは苛烈すぎるな。
喩えば、蜀の忠臣である黄権殿は夷陵の戦いの折、やむなく魏に降った。
しかし、彼はずっと劉備殿の臣下としてあり続けた。
このような例ばかりではないが、やむなく降った例もある。

>>264
さあ、どうだろうな。
耐える、というのが肉体的ならば難しいかもしれんな。
私は、密を守るため、死ぬ覚悟はできている。
孫呉には計り知れない恩義がある故にな。

>>265
私から言うべきは何もないが……。
あれは別の大陸ではないのか?
……世界は広いということを、教唆されたのか。

271 :陸抗 ◆nLIxOxWMSI :2007/12/06(木) 11:27:01 O
>>張悌
最後になってすまない。
まだ完全には謹慎は解けていないが、(携帯で)どうにか来られる。
心配をしていたかどうかは分からないが、苦労をさせたようだな。
建業に異民族が襲撃してきたという、私の軍勢にも手抜かりがあった。
故に叱り飛ばしてきたところだ……。

長い間、留守にしていたのだから、その分励まねばな。
孫呉のためならば、どのような苦労も厭わない覚悟はある。
私で良ければ、何なりと使ってくれ……張悌、いや張丞相だったか。

272 :名無しになりきれ:2007/12/06(木) 13:47:08 0
あれ?張悌いないの?

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