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新・村上ハルヒの憂鬱 3 【特亜戦国乱世編】

22 :名無しちゃん…電波届いた?:2007/09/03(月) 01:23:47
※朝日新聞ニュースより

前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘された。現在、確実な前方後円墳は
九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一
男・宮崎大学教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が公開されている。調査
の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。
西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形古墳」とか「前方後円形古墳」などとも
呼ばれている。九基の規模は、最大で全長七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古
墳の中では比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に出現する日本の前
方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になっているという。

【「日本書紀」「宋書」「広開土王碑」からみる任那日本府】

まずもって日韓の歴史の相違点の始まりはここにあると言って良いだろう。日本側の任那日本府存在説(以後、存在説)
に対し、韓国側の任那日本府非存在説(以後、非存在説)が常に議論となってきた。ここで問題なのは、韓国側の非存在
説が論拠を持っての説ではなく、どちらかというと極めて感情的な説であるという点である。
例えば、日本書紀の記述に関して「任那日本府を通じて、日本へ朝鮮半島からの文化が伝わった(要約)」ことが書かれ
ているが、この中の「日本へ朝鮮半島から文化が伝わった」と言う部分だけを引用し、その前提となる「任那日本府」につ
いては虚偽であるとしているのである。
また、広開土王碑についてもこれを改竄説を唱えて、存在説の論拠を否定しているのである。広開土王碑は現在の中国
と北朝鮮の国境近くにあり、中国側に存在する高さ6メートルの巨大な石碑のことである。この石碑には古代朝鮮(高句
麗)の広開土王の業績が書かれている。そしてその一部に倭国との戦いの記述があるのだ。
曰く「もともと百済・新羅は高句麗の属民で高句麗に朝貢していた。ところが、倭が辛酉の年(391年)以来、しばしば海を
渡って百済を破り、新羅を(風化によって判読不能)し、両国を倭の臣民としてしまった。そこで広開土王は396年に自ら
水軍を率いて、倭の臣民となった百済を討伐した。」以下、404年まで倭との戦いを記録している。

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi09.htm

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